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戦場―二人のピュリツァー賞カメラマン

戦場―二人のピュリツァー賞カメラマン
From 共同通信社

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  • 発売日: 2002-04
  • 版型: 大型本
  • 171 ページ

エディターレビュー

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   泥沼化したベトナム戦争の最中、激戦地に報道カメラマンとして乗り込み、栄誉あるピューリッツァー賞を受賞した澤田教一と酒井淑夫の戦争写真集。1966年にピューリッツァー賞に輝いた澤田の「安全への逃避(FLEE TO SAFETY)」や同じく68年に同賞を受賞した酒井の「より良きころの夢(DREAMS OF BETTER TIMES)」をはじめ、ベトナム戦争の日常を鋭く捕らえた数々の写真がモノクロで掲載されている。

   ここに紹介されているのは、必ずしもすべてが戦争写真にありがちな残酷な写真ではない。だが、それだけに戦場の現実を眼前に突きつけられるのである。体の自由を奪われ、尋問される解放戦線兵士や子どもを連れて逃げる母親が出てきたかと思うと、ペーパーバック片手にのんびりと水浴する米海兵隊員やカードに興じる米軍歩兵部隊の兵士が出てきて、対照的な姿を見せる。やりきれない思いを胸にページをめくると、そこには悲しそうな表情を見せながらベトナムの子どもたちを守る米海兵隊員の姿が現れるのである。そのほかにも、前線への出征前にうずくまる米兵の写真や、おむつ代わりにごみ箱をあてがわれて居眠りする幼い孤児の写真など、胸を締めつけるような写真が、戦争の現実を突きつけてくる。

   戦争が終わり、2人が亡くなった今、これらの写真で彼らが何を訴えたかったのか、正確なところはわからない。残されたのは、人々の悲しみの数に比べあまりに少ないモノクロ写真だけである。ベトナム戦争にゆかりのある著名人たちの言葉を参考にしながら、戦争について考えてみたい。(土井英司)

内容(「MARC」データベースより)
UPI通信社カメラマンの沢田教一と後輩の酒井淑夫が撮影した、インドシナ戦争からベトナム戦争の十年間の戦場写真集。恐怖にさらされる兵士、生き延びようとする民衆、子供、難民など120点で構成する。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
沢田 教一
1936年2月22日、青森県青森市に生まれる。50年4月、青森高校入学。54年米軍三沢基地内の写真店で働く。56年結婚。61年12月、三沢時代の米軍将校の紹介でUPI通信社東京支社へ入社。65年7月、UPI特派員としてサイゴン支局に赴任。9月、「安全への逃避」を撮影。「安全への逃避」で第9回ハーグ世界報道写真展ニュース写真部問グランプリ。「安全への逃避」で第23回USカメラ賞受賞。66年4月、「安全への逃避」でピュリツァー賞受賞(ニュース写真部問)。「安全への逃避」でアメリカ海外記者クラブ賞受賞。「泥まみれの死」で第10回ハーグ世界報道写真展ニュース部門第一位、「敵を連れて」で同第二位。第24回USカメラ賞受賞。67年アメリカ海外記者クラブ賞受賞。68年「フエ城の攻防」で第26回USカメラ賞受賞。9月、UPI香港支局に写真部長として赴任。70年1月、UPI特派員としてサイゴンに再赴任。10月28日、F.フロッシュUPIプノンペン支局長とともに取材中のカンボジア国道2号線で狙撃され殉職(34歳)。70年ロバート・キャパ賞、講談社文化賞、アサヒカメラ賞受賞

酒井 淑夫
1940年3月31日、東京で生まれる。1961年明治大学在学中、PANA通信社の暗室でアルバイトをする。1965年4月、UPI通信社東京支局に入社。1967年4月、UPIサイゴン支局に赴任。881高地などインドシナ戦争を取材して回る。6月、雨季の南ベトナムで「より良きころの夢」を撮影。1968年4月、「より良きころの夢」でピュリツァー賞受賞(第一回企画写真部問)。1971年2月、ケサン基地を拠点にラオス侵攻作戦を取材。5月、ラオス侵攻作戦の終了後、UPIを一次退社し、渡米。1973年1月5月、UPIサイゴン支局に写真部長として復帰。1975年1月末、陥落迫るサイゴン、カンボジアなどを取材後、3月初旬、帰国。9月、ソウル支局へ転任し、朴政権下の韓国を取材。1976年UPIを再退社、フリーに。1986年AFP通信社東京支局写真部長に就任。その後、ソウル五輪、フィリピン政変、天安門事件などを取材。1989年8月、AFPを退社。以後、ビデオ企画会社・ウッドストックを主宰。1999年11月21日、鎌倉の病院にて死去(59歳)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)