数学ガール/ゲーデルの不完全性定理
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #345 / 本
- 発売日: 2009-10-27
- 版型: 単行本
- 408 ページ
エディターレビュー
内容紹介
待望の「数学ガール」第3弾、ついに刊行!!
「数学って不完全だったの?」20世紀の数学と哲学に大きな衝撃と影響を与えた「ゲーデルの不完全性定理」とは? 「僕」と3人の少女が、「不完全性定理」の真実に迫る、魅惑の数学物語。
結城浩の「数学ガール」第3弾。
本書のメインテーマは「ゲーデルの不完全性定理」です。ゲーデルが20世紀に証明した「不完全性定理」は、数学の世界に大きな衝撃を与えたのみならず哲学にも大きな影響を与えました。数学は不完全なのか? もしも数学が不完全だとしたらそれは理性の限界を示すものなのか? そもそもゲーデルはいったい何を証明したのか?
本書『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』では、不完全性定理の意味を理解するため、集合と論理を基礎からていねいに学びます。
本書で取り扱う題材は、「正直者は誰?」「0.999…は1に等しいか」といったクイズ的なものから、「数学的帰納法」「ペアノの公理」「イプシロン・デルタ論法」「公理と定理」「数学における証明とは何か」「無限」といった深いテーマまで、多岐にわたります。
前著同様、僕と、三人の数学ガール(天才少女ミルカさん、元気少女テトラちゃん、妹キャラのユーリ)が大活躍します。
前著の読者はいうまでもなく、「ゲーデルの不完全性定理」に関心をもつ読者や、数学愛好家など、すべての数学ファンにとって、最良の一冊です。
内容(「BOOK」データベースより)
「数学って、不完全だったの?」「僕」と三人の少女が「不完全性定理」の真実に迫る、魅惑の数学物語。
カスタマーレビュー
数学(オイラー・フェルマー)に萌えた後は"メタ数学"(ゲーデル)に萌えよう!
「数学ガール」「数学ガール/フェルマーの最終定理」の続編です。"僕"と"テトラちゃん"と"ユーリちゃん"が"ミルカさん"によって「数学を数学すること」(メタ数学)を叩き込まれます。その準備もミッチリやります(第1章〜第9章)。第10章で実際にゲーデルの方法で数学を"形式化"し「不完全性定理」の証明を辿ります。そんな数学ネタの合間に、"付かず離れず"の淡い恋のストーリーも例によって挿入されていて、"萌え"ます。(^-^)
本評者は不完全性定理に関する本を色々読んできましたが、初心者向けにココまで噛み砕いて説明した本を読んだことはありません。数学特有の論理に慣れるために"数学的帰納法"(ぺアノ算術)・"ε-δ論法"・"対角線論法"を色んな角度から見直す処は脱帽です。今回は"テトラちゃん"の成長が目覚ましく、第10章では彼女がまとめた図を見ながらページを行ったり来たりすればゲーデルの思考の跡がフォローできるようになっています。(頭はクラクラしますが…まるで長手順詰将棋を鑑賞している気分)
「数学を数学する」うちに「何か分からない気がするが、何が分からないか分からない気分」("メタ分からない気分")になるかもしれませんが、そんな時は登場人物のように「自分は何処が分からなくなるか根気よく探す。自分にとっての《わからなくなる最前線》を探そう」という【学びの基本】を思い出しましょう。そして「感覚に頼るのでなく論理に頼る」「言葉に頼るのでなく数式に頼る」ことで本書の筋をフォロー出来そうですょ。(例:A∧B=¬(¬A∨¬B)、A→B=¬(A∧¬B)=¬A∨Bもよく考えると自然です。→ はじめての現代数学)
《意味の世界》と《形式の世界》を行き来するうちに「論理哲学論考」の要約を思い出し、愉快でした:(1)世界は分析可能である、(2)言語も分析可能である、(3)世界と言語は互いに写像関係にある(同型対応)、(4) 以上、(1)〜(3)の他は、言表不能=思考不能である。(「はじめての言語ゲーム」)
ベースは廣瀬・横田の「ゲーデルの世界」か?
証明の流れは、ゲーデルの原論文に沿っているが、<<意味の世界>>と<<形式の世界>>の対比、等の説明に関しては、廣瀬健・横田一正の「ゲーデルの世界―完全性定理と不完全性定理」に基づいているらしい(本書中でも随所で参考にしている、とある)。
ただし、廣瀬・横田の本は、完全性定理についても解説するという、考えようによっては”欲張り”な目的のために、意味と形式の対比について言及しているが、本書の場合には、完全性定理には全く言及していないので、表現定理を説明するために、意味と形式の対比を強調する必要性は特になかったように思う。
対角線論法による自己言及命題の内容の説明に関しては、ホフスタッターの「ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環」のクワイン化の表現も用いられている(ただし、本書では「クワイン化」という表現は用いられていない)。
証明の記述に関して、式が長いために、読みにくい場合があった。ただし、これは本書に限ったことではない。場合によって、詳細を隠すような表現を用いるほうが、読みやすかったと思う(例えば、スマリヤンの「ゲーデルの不完全性定理」の後半では、証明可能性をP()あるいは様相□として、簡潔に表現する方法がとられている)。
"数学"と"数学論"の違いという説明は「ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)」の解説を踏襲していると思われるが、ここで表現定理を活用して、証明可能性述語が、形式系において表現可能でない等の説明があれば、意味と形式の対比が生きたように思う(廣瀬・横田の本では言及されている)。




