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想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (ネットワークの社会科学シリーズ)

想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (ネットワークの社会科学シリーズ)
By ベネディクト アンダーソン

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  • Amazon.co.jp ランキング: #67828 / 本
  • 発売日: 1997-05
  • 版型: 単行本
  • 358 ページ

エディターレビュー

内容(「BOOK」データベースより)
国民国家分析に新地平を拓き、いまやナショナリズム研究の新古典となった第一版にさらに二章を加えた待望の増補版翻訳完成。

内容(「MARC」データベースより)
国民国家分析に新地平を拓き、ナショナリズム研究の新古典となった第一版に、さらに2章を加えた増補版。〈ソフトカバー〉


カスタマーレビュー

示唆に富む5
社会科学上の名著にして、国民国家論の先駆的研究でもある。

ゲルナー、スミスと合わせて読むと良いとのことで、国民国家論研究御用達の著作のように扱われている。
しかしながら、メディアと言語、あるいは国民国家社会(ないしはコミュニティ)との関係についての興味深い洞察は、現代社会の問題に切り込むための視角を提供してくれているように思う。
増補版では、著者は間違いだらけの古い著作と謙遜しているが、一見の価値はあるだろう。
示唆に富む著作である。
面白く、読みやすくもあるので、間違いなく星5つである。
是非一読してほしい。

自然にみえてもそうでないらしい4
本書は具体例が豊富で、歴史的知識を多く前提しており、私の脳裏には読書中、猫に小判という言葉がちらついた(同様に難解に思う読者は、各章最後のまとめらしき部分を先に読むと入りやすいかもしれない)。むずかしいなかでも、国民意識は自然なものでないという話はよく伝わってきた(自然でない「発明品」であるものに命までかけてしまうんだからなぁ)。著者は国民意識がつくられるにあたって「出版語」が重要だったと説くが、どういう点で重要か。それが比較的わかりやすく書かれた場所があったので紹介してみる。「想像の共同体」というときの「想像」の原点に触れた箇所なので、ここを理解すれば全体の半分は理解したといってよいと思う(ことにする。猫だし)。

「〔国民意識の基礎を形成するに当たり出版語の果たした役割として最重要だったことは〕出版語が、〔聖なる言葉である〕ラテン語の下位、口語俗語の上位に、交換とコミュニケーションの統一的な場を創造したことである。フランス語、英語、スペイン語といっても、口語はきわめて多様であり、これら多様なフランス口語、英口語、スペイン口語を話す者は、会話においては、おたがい理解するのが困難だったり、ときには不可能であったりするのだが、かれらは、印刷と紙によって相互了解できるようになった。この過程で、かれらは、かれらのこの特定の言語の場には、数十万、いや数百万もの人々がいること、そしてまた、これらの数十万、数百万の人々だけがこの場に所属するのだということをしだいに意識するようになっていった。出版によって結び付けられたこれらの読者同胞は、こうして〔中略〕国民的なものと想像される共同体の胚を形成したのである。」(P.84)

言葉のうちに秘めた、共同体意識を育む魔力5
なぜ僕たちは、見ず知らずの同国の戦没者に対して哀悼の意を述べることができるのか?
なぜ僕たちは、テレビに映る背格好では僕らと少しも違わない韓国人や中国人に特殊な憎悪の炎を燃やすことができるのか?
僕たち日本人の日本人たる意識とは何か?
僕たちの脳裏で国家が「想像」されるのは、いかなる契機を通してなのか?

それらの疑問を結びつける蝶番となるのが「ナショナリズム」や愛国心である。本書『想像の共同体』においてベネディクト・アンダーソンは、
そんなナショナリズムや共同体意識の起源―とりわけ近代以降のそれと、それが構築される仕組みを明かしてくれる。

近代以前の共同体では、特定の手写本語によって構築される宗教的な世界観や、王族という「血筋」が重要な役割を担っていた。
これらの共同体を共同体たらしめるメカニズムとして機能していたものが減衰した後に、近代的共同体の生成が始まる、主に出版資本主義の攻勢によって。
それはどういうことか。

今では小説などで頻繁に使われる「一方その頃(meanwhile)」。これによって、同時的に複数の事象が起こっていると言うことが表現されるのだが、
この「一方その頃」という表現にこそアンダーソンは、近現代の共同体意識の発芽を読み取る。または新聞を見てみよう。紙面には、さまざまな事件
や事故や政治の話題が、恣意的に、コラージュ的に散りばめられている。それらの記事を結ぶ共通項は、昨日この国で「同時に」起こったということだ。
僕たちの見ず知らずの他人を同国人として認める共同体意識は、例えば僕たちが日々新聞を読むことで無意識的に、それが起立させる同時性によって、
育まれていくのである。
これら出版物が仮定する同時性によって初めて、僕が「今・ここ」で何かしている「一方その頃」に、他の場所で僕と同じ日本人が存在し、
何かをしているという想像を僕は手に入れる。
だからこそ、「想像(によって想起されて、初めて実体性をもつ)の共同体」なのである。

つまりナショナリズムを高揚させるのに重要なのは、何も国旗掲揚や国歌斉唱だけではないということである。新聞が愛国心を煽る内容の記事を
載せなかったとしても、僕たちはその「形式」において共同体意識を育んでいくのである。

内容よりも言語という形式に、共同体の擬集性としてのナショナリズムを読み取った、ベネディクト・アンダーソンの貴重な仕事。