ネイションとエスニシティ―歴史社会学的考察
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #174925 / 本
- 発売日: 1999-06
- 版型: 単行本
- 368 ページ
エディターレビュー
メタローグ
ナショナリズム研究の第一人者である著者は、ネイションの起源と形成において、近代以前の文化と歴史を共有するエスニックな共同体の役割を重要視する。エスニックな共同体の属性としてその集団独自に共有された価値・神話・記憶・象徴があげられるが、著者はネイションをこの文化的属性を絶えず再規定し、再構成する長期的な歴史的過程としてとらえるのである。地域的にヨーロッパ・アメリカからアジア・アフリカ、歴史的には古代・中世から現代におよぶこの歴史社会学的考察は、グローバル時代といわれる今、さらに激化していくように見えるエスニックな対立を把握するために欠かせない1冊である。(中山修一)
『ことし読む本いち押しガイド2000』 Copyright© メタローグ. All rights reserved.
内容(「BOOK」データベースより)
近代的なネイションの底にあるものは何か?ナショナリズムはまもなく乗り越えられるという楽観的な見方を再検討するとともに、現在再び生命力を増しているエスニックな要素の起源を探り、前近代的な文化とアイデンティティの運命を明らかにした、待望久しい名著の邦訳。
内容(「MARC」データベースより)
ナショナリズムはまもなく乗り越えられるという楽観的な見方を再検討するとともに、現在再び生命力を増しているエスニックな要素の起源を探り、前近代的な文化とアイデンティティの運命を明らかにする。
カスタマーレビュー
連続性?
本書は、民族自決主義者の手になるナショナリズム研究の古典であり、一般にナショナリズムの近代性を強調する見方にたいする反駁として、前近代からの連続性を強調したものと見なされている。しかし私見では、そうしたまとめ方は適切ではないように思う。
理由1。彼の言う連続性は、抽象的な「思考の形」の連続性にすぎない。その際、そうした「思考の形」の社会成員への浸透度や恒常性、他のアイデンティティに対する優越性の程度等の変化は軽視される。彼にとって、記憶・象徴・神話・伝統のような「思考の形」(思想内容)こそが第一義的であり、ナショナリズムの「機能変化」(実態)にかかわる要素は二次的である。
理由2。彼は土地との結びつきや血統など、「要素」によってエトニ・ネイ!ションを定義しようとするが、それは「想像上の結びつき」でもかまわないとされる。
理由3。彼も近代における根本的変化を認めており、エトニに基づくネイション形成と、領域に基づくネイション形成という、ネイション形成の二つの軌道があったことを認めている。エトニとネイションは、必ずしも直結しない。
このように、「要素」によってナショナリズム一般を定義することや連続説の困難がよく分かる本である。本書はアンダーソンの説にとって代わり得るような代物ではなく、それを補完するものと見た方がよい。本書は、ナショナリズム「思想」の類型論としてのみ、その意味を持ちうるのであり、そうしてこそ本書の該博な知識は生かされる。
良書といえる
非常にレベルの高いナショナリズムの研究書です。
ある程度どのような思想的傾向の人でも受け入れられる書物だと
思います。
さまざまな論点の中に日本に対する言及もあります。
ナショナリズム、というものを定義する1冊としては極めて優れています。
歴史的視点も兼ね備えておりおすすめです。
まとまっているような、いないような
本書の原題はThe Ethnic Origins of Nation。
そのタイトルが示すように、「本書の目的は、ネイションの起源と系譜、とくに
そのエスニックな起源を分析することにある。……近代的なネイション形成の
過程において、人間結合の有力なモデルを提供してきたのは、エスニシティで
あった」。
こうして、古今東西膨大な歴史のサンプルから、この両者をめぐる関係性を
読み解いていく。
この議論にあたってまず思い起こされるべきはルナン『国民とは何か』であろう。
彼はこの講演の中で、「国民nation」に対していかなる定義を与えるべきかと
自問し、人種、宗教、領土といった可能性をひとつひとつ否定しつつ、例の
「日々の人民投票」なる回答にたどり着く。あまりに雑に掻い摘んで言えば、
前者の持つエスニックな要素を下敷きにしつつ、歴史や神話といった精神的、
物語的な後者を重ね合わせた混合体として「ネイション」を規定してみませんか、
というのが筆者の立場。
師であるというゲルナーや『想像の共同体』を踏まえた非常にオーソドックスな
アプローチで、参照する資料も豊富、ナショナリズム論の入り口としてももしかしたら
有用なのかもしれない。
ただ、議論の進展の中で、いくらなんでも両者のボーダーが曖昧すぎやしないか、
との感は残った。それゆえに、旧来の立場との区別や差異が今ひとつ語りづらいし、
比較にあたっても、その用語法をはじめとして、確認しなければならない認識の前提が
多すぎるような気がする。きつい言い方をすれば、これじゃ「ネイション」の定義なんて
できてねえじゃん、とさえ思ってしまう。
まあ、現実の世界を見渡してみれば、旧ユーゴがまさにその典型であるように、
明確な線引きをしろ、と言われてもそうそうできやしないのも明らかなわけで。





