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いまここに在ることの恥

いまここに在ることの恥
By 辺見 庸

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  • 発売日: 2006-07-29
  • 版型: 単行本
  • 176 ページ

エディターレビュー

出版社 / 著者からの内容紹介
問う 恥なき国の恥なき時代に、「人間」でありつづけることは可能か?
「自分自身への審問」につづく極限の思索。恥辱にまみれた「憲法」「マスメディア」「言葉」「記憶」・・・・を捨て身で書き抜く。瞠目の書き下ろし「炎熱の広場にて」を収録!

内容(「BOOK」データベースより)
『自分自身への審問』につづく極限の思索。恥辱にまみれた「憲法」「マスメディア」「言葉」「記憶」…を捨て身で書き抜く。瞠目の書き下ろし「炎熱の広場にて」を収録!問う―恥なき国の恥なき時代に、「人間」でありつづけることは可能か。

内容(「MARC」データベースより)
問う-恥なき国の恥なき時代に、「人間」でありつづけることは可能か? 恥辱にまみれた「憲法」「マスメディア」「言葉」「記憶」を捨て身で書き抜く。書き下ろし「炎熱の広場にて」を収録。


カスタマーレビュー

日常を覆う恥辱5
前作「自分自身への審問」が入院中の執筆物とすれば、本書は退院後の指針を示すべく論考集と言えそうである。前作では脳出血、癌という災厄につい目を奪われがちだったが、ここでは入院中から辺見を捉えてやまない「恥」という感覚に焦点が絞られ、我がこととして痛みをもって語られている。視座は不変にして旗幟鮮明である。オウム事件の際に提示したイナーシア(慣性)という摂理、つまり精神がイナーシアに支配されている時、「私」を失った身体は組織やシステムの指示者通りに動く機械と化す。およそ十年前に説かれたその摂理が、憲法改悪を筆頭として加速度的に進むファシズム化の中で拭い難い「恥辱」を養生していることに言及している。
やや観念的な「自分自身への審問」を経て、病後辺見はたとえば本文中に紹介される石川淳の「マルスの歌」のように文学的手法をもって時代とコミットするかと思っていたが、どうやら見当違いだったようだ。いまここに在ることの恥。評するのではなく我がこととして対峙するのを迫られる書だ。

自分自身の為に恥を感じ、その克服に実存をかける5
脳出血と癌を患い右半身に障害を抱える、元共同通信のジャーナリストで芥川賞作家でもある辺見庸氏による、1.書き下ろし「炎熱の広場にて」、2.2006年の新聞掲載文、3.2006年の「毎日ホール」での講演内容、で構成されています。

19世紀の(哲)学者、太宰治等の作家の言葉が多く引用され、我々日本人の恥(例えば第2次大戦の生体実験の事実をすっかり忘れていたり、コイズミ時代に自らファシズムを受け入れてしまう民族性)が白日の下に晒されます。

著者は日本のそして自分自身の恥を感じ、自身の精神を恥に曝すことで傷つけながら、限られた重い障害を持つ余生を自分自身の為に、恥を感じることの無くなった日本の社会・日本人の価値観を正そうと、その実存をかけて言論活動を必死の想いで続けていらっしゃると強く感じました。

そして、氏の言葉は自分の恥や欠点に気付かない振りをして、また気づきもしないで生きていては、本当の生を全う出来ないのではないか?と私に訴えかけてきました。
大切な人を失ったり、傷つけたりした中で、著者の魂の叫びの幾分かは聞き取れた気がしており、今、自分は自分の実存を何にどのようにかけるべきなのか、自問自答するきっかけとなりました。

以下の後書からの抜粋に感じ入るものがある方には、ご一読をお薦めします。

「メディア知」のみを絶えず食わされて、権力と市場と資本に都合のよいテーマだけを日々、投げあたえられ、もっぱらその枠内で発想し、喜び悲しみ反発するように導かれている。もうそろそろ、それを拒んでもいいのではないか。

たいしたことなのは、いままで口先で言っていただけのことに、一切の冷笑を殺し、(指の先から一滴でも血を流すような)万分の一でも実存をかけること

とてつもなく苦い良薬5
本書には、私たちが内面に抱える宿命的な恥、
そしてそれを無意識のうちに忘却することが、
日本型ファシズムの進行を許してしまうことに激しく憤る、
エッセーと講演録が収められています。

著者の憤りは、著者に賛同し寄り添おうとする者にも向けられており、
読んでいて苦しくもなります。
例えば難民キャンプの現実を傍観すること、
戦中の生体実験に無邪気に加担すること。
まことに痛いところを衝く書物です。

後半の講演録は著者のこれまでの主張が、
ご自身の闘病体験も交え、より先鋭に展開されます。
一番の批判対象は、本来の役割を放棄したマスメディア、
次いで、鵺のような日本型ファシズムの蔓延を許し、
自ら自由な公共空間を捨てようとする我々です。