村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する (平凡社新書)
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #185226 / 本
- 発売日: 2006-05-11
- 版型: 新書
- 280 ページ
エディターレビュー
内容(「BOOK」データベースより)
日本、アメリカ、中国等で大ヒットした『海辺のカフカ』。カフカ少年とナカタさんのパラレルな物語に“癒し”や“救い”を感じた人も少なくなかった。けれども、本当にそういった内容なのだろうか?丁寧なテクスト分析によって、隠された構造が浮かび上がる。暴力が前面に現れつつある「九・一一」後の世界に、記憶と言葉の大切さを訴える、渾身の村上春樹論。
内容(「MARC」データベースより)
日本と海外で大ヒットした「海辺のカフカ」に、「癒し」や「救い」を感じた読者も多い。しかし本当にそういう内容なのだろうか。丁寧なテクスト分析によって、隠された構造が浮かび上がる。村上文学の本質に迫る問題作。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
小森 陽一
1953年東京都生まれ。北海道大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程修了。東京大学大学院総合文化研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
文学に対する憎悪か反発か
まず確認しておきたいのは小森氏がこのような本を書くのは初めてではないということだ。
『世紀末の預言者・夏目漱石』(笑)もそうであるし、『歴史認識と小説 大江健三郎論』もそうだ。
更に近年の著者の仕事を見るにつけ政治学者による文学論と判断するのが正当であろう。
安易に誰にでもテクスト論を適用する著者の悪い癖が出たともいえる。
海外で流行のカルスタ、ポスコロによる読みなんかも。はっきりいって買う必要はありません。
著者がどのようなスタンスであるかは著者の母君である小森香子氏(東京原水協、日本平和委員会理事)との共著を読めばすむことで春樹とは関係ない。
それよりもまず作家よりも権威のある東京大学教授というものがなぜ分析されないのかを問わなければならない。
確かに極端だが、「批評」の手法としてはアリ
「少年が大人になること」を扱った「海辺のカフカ」が、既に大人になったはずの年齢層の人々の間で「癒し本」として爆発的に支持されたことの気持ち悪さ。
その気持ち悪さを、小森陽一は精神分析やジェンダー論の視点で丹念に理屈付けようとしている。その手法自体はとてもまともな「文学批評」だったりするのだけど、その結論では女性蔑視、歴史認識の空虚さ、等などから、この小説の政治的態度の危険さを指摘し、徹底的にコキ下ろした内容になっているがコジツケ臭いのは否めない。しかし、小森陽一自身の歴史認識の細部や理屈の重箱をつついたコジツケ振りは確かに問題があるとしても、「海辺のカフカ」の受け入れられ方・売られ方の気持ち悪さを丹念に理論化していくと、それなりにヤバイものも髪間見ることができることは確かだろう。そういった問題意識で読むとヒントは沢山ある本だと思います。主張(結論)で損してるけど手法は正しいので、村上春樹を批判的に読みたい人のヒントにはなる本ですよ。
ただ、村上春樹氏にとっては、もしかすると作家本人の構想よりも遥かにエディプス・コンプレックスについて細かく読み込まれちゃった挙句に断罪されてしまっていると思うので、いい迷惑でしょうね(笑)。
女性嫌悪と言うけれど
本書のキーワードとして「女性嫌悪」が頻繁に出てきますが、村上春樹の作品がそもそも、男性の視点からはそう見えてしまうところの、女性の多面性のようなものから男性が受ける、尽きせぬ魅力や悩ましさを男性の立場から述べようとするものであること、平たくいえば「可愛い顔してやることはすごい」という男性誌のコピーから受けるあの感じの正体を見極めたくても見極められない、その辛さやもどかしさを文章にしようとしたものであることは、男性の読者ならばみんな知っていると思います。もどかしすぎるあまりに解決を放棄して女性嫌悪に陥る不届き者もいるでしょうが、多くの男性は嫌悪ではなく、むしろ畏れを感じています。男性より女性のほうが、いってみれば上位にあることを前提に、なぜ男性が(いってみれば)下位なのかを苦しみながら探るのが村上春樹の小説だと思います。クミコもキキも双子もクレタも、マック襲撃パートナーの若い妻も、おそらくは作家自身の奥さんも、みんな男にとっては等しく畏れの対象です。そのように理解しているため、「女性嫌悪」が初出するあたりから先の論点は、よくもまあここまでいろいろなことを結びつけるものだと感心こそすれ、「そうは言うけど、そうでもないんじゃないか?」という印象を抱きます。特に岡持先生のくだりは、夫の死を子宮なり性器なりで察してしまう、そして結果的に本人の意思とは関係なく大きな力を現出させてしまう、というエピソードに女性への畏れを託したものと理解していた身には、やはり無理があるような気が(別に罪を背負わされたわけではないだろう、と)。私も大学の史学科をかろうじて出ているので、こういった精読・批評・批判の価値を認め、またリスペクトもしていますが、あまりに陰謀説のような色合いが強くなると、何か別の方法があるのではないかと感じざるを得ません。




