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被差別部落のわが半生 (平凡社新書)

被差別部落のわが半生 (平凡社新書)
By 山下 力

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  • 発売日: 2004-11
  • 版型: 新書
  • 217 ページ

エディターレビュー

出版社/著者からの内容紹介
現代の被差別部落問題とは何か。かつて「糾弾屋」と呼ばれた著者が、社会の変化、特措法による部落の変化の中で、女性・弱者を含めた新たな運動に取り組み、次の世代に語りかける。

内容(「BOOK」データベースより)
被差別部落出身者であることに悩み、隠し、二十八歳にして「これこそオレが言いたかったことだ」と、初めて部落解放運動に目覚める。その後の解放運動の中で「糾弾屋」と呼ばれた著者が、山あり谷ありの自らの半生を振り返り、どのように試行錯誤してきたか、どのように部落解放運動と取り組んできたかを、次の世代の若い仲間に生き生きと伝える。

カバーの折り返し
被差別部落出身者であることに悩み、隠し、 28歳にして「これこそオレが言いたかったことだ」と、 初めて部落解放運動に目覚める。 その後の解放運動の中で「糾弾屋」と呼ばれた著者が、 山あり谷ありの自らの半生を振返り、 どのように試行錯誤してきたか、 どのように部落解放運動と取り組んできたかを、 次の世代の若い仲間に生き生きと伝える。


カスタマーレビュー

解同幹部の試行錯誤4
 被差別部落の問題に関しては、根拠のない都市伝説の類の差別発言やセクト主義的な諸見解が入り乱れ、何が真実なのかがよく分からない。したがって、とにかく具体的な個人の体験から考えようと思い、とりあえず本書を選んだ。本書は1941年に生まれ、1969年に部落解放同盟上但馬支部を創設し、奈良県議会議員、民主党奈良県総支部連合会常任幹事である著者が、運動方針の大転換を機に、自分の半生を振り返る形で次世代にこれまでの運動の経験を伝えようとして、2004年に刊行した新書本である。著者は革製スポーツ用品生産で知られた比較的裕福な被差別部落で育ち、身元を隠しながら東京工業大学に進学したが、やがて差別糾弾闘争に感銘を受け、「糾弾屋」と呼ばれる解同の運動家となる。しかし、1970年代における部落産業の衰退(海外への生産拠点移動)、特別措置法による部落生活の物質的向上、また年々増加する部落外への転居といった社会変化の中で、著者は自分達の従来の運動方針に疑問を持ち始める。差別は貧困に由来する目に見える差別から、経済とは直接関係のないより目に見えにくい散発的な差別へと変化し、部落民の中でも世代間のギャップが大きくなった。解同の中には糾弾を濫用する者(「同和利権亡者」)が出始め、路線対立も深刻化した(1993年山川戦争へ)。著者はこうした状況の中で試行錯誤し、1980年頃までの糾弾や特措法の有効性を認めつつも、動揺する「事実」や差別者としての自己の再検討、「糾弾請負業」からの原則的な撤退、多様な被差別者(障害者、女性、在日朝鮮・韓国人、アイヌ人等々)との連帯、口の堅い「いい相談相手」であること、「帰る場所」としてのぬくもりのある村づくり、自己規制・行き過ぎた糾弾の双方への反対等を提案する。解同幹部であることや山川戦争の一方の指導者であることに由来する叙述の偏りは当然あると思うが、有益な本ではあると思う。

美化された解放同盟について知ることができる1
 筆者は奈良県の県会議員にして、解放同盟の一員。奈良といえば、先だって県庁職員の不祥事が明るみに出たところである。この県庁職員というのは解放同盟の幹部を務める男で、公務員としての仕事もろくにせずに、解放同盟幹部という肩書きをフルに悪用して建設関連の談合にかかわったり、建設課に圧力をかけ続けていたという。解放運動に名を借りた利権漁りについて、当の解放同盟はどう思っているのだろうか。世の差別事象(落書き、発言)には目くじらを立てて糾弾するくせに、身内の不祥事については何の見解も示さない。まるでなにもなかったかのよう。このような解放同盟の体質について、筆者をはじめとした解放同盟の連中に、もっと自分に厳しくなれと言いたい。
 この本をよしとする読者には『京都・同和「裏」行政』(講談社+α新書)を読んでほしい。そのうえで、同和行政を評価してほしい。

部落解放運動に携わって来た者だからこそ語れる“糾弾”の功罪4
 恥ずかしながら僕はこの著書で、はじめて部落とは何か、部落差別とは何かを知った。そのルーツ、経緯を知れば、部落に対する差別がまったく不当なものであることが理解できる。ところが、部落について語ることはマスコミでも一般社会でもタブーになっており、意識的に関連書籍などに目を通さない限り、断片的な知識しか入ってこない。“知らない”ということが誤解や偏見を呼び、差別意識を生むことにもなる。著者が語るように、“糾弾”活動は、目に見える、つまり“実態としての差別”を抑え込むことには大きな成果を見せた。しかし、一方で、行き過ぎた糾弾活動や言葉狩りは“触らぬ神に祟りなし”とでもいった、目に見えない、“意識としての差別”を生むことにも繋がっている。
 部落解放運動に実際に携わって来た著者が“糾弾”の功罪、その成果と反省点を言葉にしていることに本書の意味がある。そして、差別は一方向的なものではなく“差別されている人も違う場面では差別する側になっている場合がある”という捉え方、その上で部落にとどまらず女性、学歴、人種、国籍といったあらゆる差別を無くしていこうという著者の意志には深く共感する。
 差別は“人間の弱さ”そのものであり、無くなることはないだろう。せめて差別していること、差別されていることに意識的でありたいと思う。