和解のために 教科書、慰安婦、靖国、独島
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #170045 / 本
- 発売日: 2006-11-21
- 版型: 単行本
- 264 ページ
エディターレビュー
内容(「BOOK」データベースより)
日韓の不信が生む悪循環を脱し、自省と寛容による和解をさぐる。韓国からの呼びかけ。
内容(「MARC」データベースより)
日本と韓国の間に横たわる「教科書」「慰安婦」「靖国」「独島」の4つの歴史問題に、ナショナリズムを超えたまったく新しいアプローチで取り組む大胆な提言。日韓の不信が生む悪循環を脱し、自省と寛容による和解を探る。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
朴 裕河
1957年ソウル生まれ、ソウル育ち。高校卒業後渡日、慶応義塾大学文学部を卒業後、早稲田大学大学院で日本文学を専攻し、「日本近代文学とナショナル・アイデンティティ」で博士学位取得。帰国後、世宗大学日本文学科教授を務め、「20世紀日本文学の発見」シリーズを企画・編集し、夏目漱石、大江健三郎、柄谷行人らの著書を翻訳するなど、近現代の日本文学と思想を紹介しながら、民族・帝国・ジェンダーについての関心をもとに、日本近代文学に対する批判的な再解釈を試みてきた。また、民族主義を超えた連帯を模索する韓日知識人の集まり「韓日連帯21」を組織し、多様なメディアに寄稿と発言をつづけながら、韓日間の真の和解のための幅広い活動を繰り広げている
佐藤 久
1951年福岡県生まれ。翻訳家。法政大学ボアソナード記念現代法研究所委嘱研究員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
祈りをこめて 日韓の和解を説く
この本は、著者の祈りが聞こえてくるような良書である。日韓の真の相互理解がぜひとも必要であり、また、可能であると信ずる著者が、「教科書」「慰安婦」「靖国」「独島」(竹島)という「過去」をめぐる最も扱いの困難な日韓間の諸懸案について、激しく対立する両者の意見に誠意をもって耳を傾け、苦悩の末に、ナショナリズムを超えて、和解の道を提示しようとする試みである。日韓双方による主張についての扱いも大変丁寧で、この本が、相互理解を強く志向していることを明らかにしている。「和解」は、被害者側の「赦し」から始まる必要があると、著者は説く。この本がもともと韓国で韓国人読者に向けに出版されたことをあわせて考えると、著者の勇気は心から敬服に値する。同時に、あとがきで上野千鶴子氏が指摘するよう、われわれは、彼女の善意に付け入ってはならない。
日韓関係を考える最高の本
韓国ナショナリズム批判というと、韓国に対する「悪口」というレベルにとどまる人間が多い。しかし、朴裕河氏はまったく違った問題意識から出発している。もともと日本文学者である彼女は、日本と韓国に横たわるナショナリズムの問題にぶつかり、それを二つとも批判しようと覚悟したようだ。そこには、日本と韓国の社会での「男性優位主義」が問題をより複雑にしているといえよう。彼女にとってナショナリズムそのものが男性主義の問題でもあるのだから。ともかく、この本が日本で紹介されたのはよかった。そう、韓国のナショナリズムを批判してはいるが、だからといって日本ナショナリズムに妥協しているわけではないので、ここに本当の意味での「ニュートラル」が見えてくるからだ。この本とともに、李建志氏の『朝鮮近代文学とナショナリズム』(作品社、2007年)をあわせて読むことを勧める。韓国朝鮮がいまや一枚岩のナショナリズムとして動いているわけではないことが見えてくるだろう。
「日韓和解」の道標
日韓和解論としての本書の最大の魅力と信頼性は、韓国人である著者が、日本と韓国の両方で、ブレずに「日韓和解」を論じていることである。
こういう対日和解論を、韓国人である著者が、日本でだけ展開したとしたなら信頼しがたい。しかし、著者は違う。本書で論じられているような問題群についての韓国の言論状況を考えれば、こうした問題について日本との「和解」を語ること自体、相当の覚悟と準備がいることだ。それをしながら、日本でこうした「日韓和解」論を出版している。高く評価されるべきである。
日本人の誰もがこぞって著者の「日韓和解」論を歓迎したかといえば、むろんそうではない。だが、和解を拒否する者(たち)と和解することは、当然のことながらできない。和解を語ってくれる者(たち)と、和解を進めたい者(たち)のあいだで、まず取り組んでいくしかない。著者の「日韓和解」論は、両国のあいだで和解の<場>をひらくための道標である。
「日韓和解」をめざすのであれば、朴裕河の議論をできる限り積極的に、前向きに受け入れて、では何ができるのか、どこまで譲歩できるか(譲歩してもらうか)、冷静に考えていくことが必要である。





