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突撃砲兵と戦車猟兵―1939‐1945 (オスプレイ・ミリタリー・シリーズ―世界の戦車イラストレイテッド)

突撃砲兵と戦車猟兵―1939‐1945 (オスプレイ・ミリタリー・シリーズ―世界の戦車イラストレイテッド)
By ブライアン ペレット, マイク バドロック

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  • Amazon.co.jp ランキング: #220063 / 本
  • 発売日: 2003-07
  • 版型: 単行本
  • 47 ページ

エディターレビュー

内容(「BOOK」データベースより)
ドイツ軍の突撃砲は元来、歩兵支援用に特別に開発・設計された兵器であったが、第二次世界大戦における戦場の状況の変化によって、多数の異なった任務を遂行せざるを得なくなった。そのなかで最も重要だったのは、戦車駆逐車としての任務であった。戦車の車体に強力な対戦車砲を搭載し、重装甲の敵戦車を撃破するというコンセプトのもとに、強力な戦車砲が突撃砲だけではなくさまざまな戦車の車台に搭載され、実用化されていった。チェコやフランスの捕獲戦車も有効に利用された。そして戦車駆逐車の任務は、第二世代の駆逐戦車へと引き継がれた。もしも戦車師団が光芒を放つドイツ軍の剣だとしたら、突撃砲と駆逐戦車はその盾であった。しかし、戦場における戦車の力が失われるにつれて、突撃砲と駆逐戦車の乗員たちが代わってその重荷を背負うことになった。ヨーロッパ戦の末期、戦車との戦闘の多くを担ったのは突撃砲兵と戦車猟兵だったのである。

内容(「MARC」データベースより)
ドイツ軍の突撃砲は元来、歩兵支援用に特別に開発・設計された兵器だったが、戦場の状況の変化によって戦車駆逐車としての任務を遂行せざるを得なくなった…。戦車との戦闘の多くを担った突撃砲兵と戦車猟兵について解説する。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ペレット,ブライアン
1934年生まれ。リヴァプール大学を卒業。王国機甲軍団、第17/21槍騎兵、ウエストミンスター竜騎兵、王国戦車連隊勤務。国防義勇軍勲章受賞。フォークランド紛争および湾岸戦争中リヴァプール・エコーの軍事特派員を務める。非常に成功した業績を収めた著述家。既婚でランカッシャー在住

バドロック,マイク
軍事宇宙科学、科学器機およびハイテク器機に関して、英国を代表するイラスト画家のひとり。彼の描く詳細な解剖図、きわめて複雑な細部まで描き込まれたきわめて複雑な内部構造図は、世界中の数多くの書籍、雑誌そして産業用出版物などで見ることができる

山野 治夫
1964年東京生まれ。編集プロダクションに勤め、PR誌編集のかたわら、原稿執筆活動にいそしむ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


カスタマーレビュー

感謝5
こんなにもマイナーな題材で、1冊にまとめてくれた、
オスプレイ社と、日本版を出してくれる大日本絵画社に感謝です。
他にもこのシリーズには、日本語版としては
唯一と言っていいようなテーマの書籍がまだまだあります。
オスプレイのミリタリーシリーズは全般にオススメです!

戦線を担った突撃砲から駆逐戦車5
 どうしても戦場の主役の戦車に目が行っていて、タイガー、パンターという方向ばかり見てしまっていましたが、戦場で実際にT34やシャーマンの進撃を食い止めるべく薄い装甲で果敢に働いていたのはドイツ特有の突撃砲だったのを知ってこの本を読みました。
 当初の突撃砲のドクトリンは、防護された火器システムと即座の直接火力指向能力によって、前線地域ですべての状況下で歩兵に即座の直接支援を敵の重兵器の火力に打撃を与えて制圧することであるとされてり、突撃砲は砲兵の原理によって運用され第一線にある砲兵とみなされ、作戦の中心は集中であるこの原理の放棄は不必要な損失を招く。すべての行動において敵戦車の破壊は特に重要である。しかし、突撃砲を単なる戦車駆逐車と運用することを許してはならないことされていた。
 戦争初期には榴弾、短砲身の突撃砲も多かったが、戦局の悪化に伴い敵戦車に対抗するため突撃砲は旋回砲塔を捨て去り、安価に大量に作られ、厚い正面装甲と強力な対戦車砲を持ち、遠距離から敵の戦車を、低い姿勢と相まって撃破したわけです。その最終形としてヤクートタイガー、エレファントといったあだ花も咲いたわけです。
 現代の戦場では突撃砲、駆逐戦車の考えは戦車の進化に伴い無意味になってしまいましたが、当時のドイツはこれらを必要とし、戦線を維持するのにうまく運用したのは驚異に値します。もちろんほとんどすべての突撃砲も駆逐戦車もベルリンの陥落までに突撃砲兵や戦車猟兵とともにはかないものとなってしまったわけですが、そこに、何らかの美学を感じざるを得ません。