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私訳 歎異抄

私訳 歎異抄
By 五木 寛之

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  • 発売日: 2007-09-01
  • 版型: 単行本
  • 145 ページ

エディターレビュー

内容紹介
親鸞の言行をまとめ,その思想を知る上で極めて重要な宗教書として読まれている『歎異抄』。戦中戦後の絶望的な著者の人生を救った永遠の名著を,氏自身が渾身の新訳で挑む。

内容(「BOOK」データベースより)
前世、宿業、善悪、慈悲、そして信じるとは?そのすべてを親鸞が明確に語りつくす。構想25年、著者渾身の私訳、ついになる。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
五木 寛之
1932(昭和7)年9月福岡県に生まれる。生後まもなく朝鮮にわたり47年引揚げ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年「さらばモスクワ愚連隊」で第6回小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で第56回直木賞、76年「青春の門」筑豊編ほかで第10回吉川英治文学賞を受賞。ニューヨークで発売された英文版『TARIKI』は大きな反響を呼び、2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた。小説のほか、音楽・美術・仏教など多岐にわたる文明批評的活動が注目され、02年度第50回菊池寛賞を受賞。04年には第38回仏教伝道文化賞を受賞。現在直木賞、泉鏡花文学賞、吉川英治文学賞その他多くの選考委員をつとめる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


カスタマーレビュー

現代に生きる『歎異抄』5

 親鸞(1173‾1262)に関しては、たとえば「しぶとくしたたかに『非僧非俗』の一生を貫き、年をとるほど円熟した思想を展開した」(末木文美士『日本仏教史』新潮文庫)人物との評価も可能であるが、同時に、浄土教の三大経典の一つである『大無量寿経』の「大胆きわまる乾坤一擲の読み替え」(大峯顯『君自身に還れ』本願寺出版社)などを行った、日本史上希代の宗教者とも言い得るのではなかろうか。

 『歎異抄』は、その親鸞の「日常、若い門弟との間に交わされた、何の飾り気もない率直な対話」(『歎異抄』本願寺出版社刊)などを詳記したもので、親鸞の直弟・唯円房(ゆいえんぼう,1222‾1289頃)がその筆者といわれている。実際、「『歎異抄』はいかにも人間くさく」、「その深い人間洞察に離れがたい魅力」(末木前掲書)があり、「仏教書のロングセラー」(同)でもある。

 この五木寛之氏の『私訳歎異抄』は、無論、氏の「主観的な現代語訳」であり、従って氏が述べるごとく「唯円が歎く親鸞思想からの逸脱かもしれない」(本書まえがき)。だが、親鸞が『大無量寿経』というテキストを大胆に読み替えたと同様、親鸞思想を説く『歎異抄』を、五木氏が「『私』」にこだわった」(同)大胆な現代語訳を行っても、私は全く違和感を覚えない。大峯氏も語るように「テキストには常に解釈が必要」(大峯前掲書)だからだ。

 なお、五木氏の仏教に対する思いについては、「五木寛之こころの新書」シリーズ(講談社刊)の『仏教のこころ』や『自力と他力』などを併読されると、一層の理解が深まると考える。

訳者の「主観」にもっとふれたい4
待望の五木寛之版『歎異抄』。なのだけれど、すんなり読める現代語訳ながら、いまひとつ五木氏オリジナルの読み解き方がどこにあるのかわからず、楽しめなかった(といっては語弊がありそうだが…)。「まえがき」で五木氏は「私はこう感じ、このように理解し、こう考えた、という主観的な現代語訳」である、と述べているが、氏に私淑している読者の一人としては、その辺りをもう少し詳しく説明してほしかったのである。
その代わりなのか、本書の末には、日本中世史がご専門の五味文彦氏による「解説」がついている。これは、親鸞の波乱にとんだ生涯と、彼が生きた時代状況(飢饉や戦乱など災害が多かった)をコンパクトにまとめた文章で、これはそれ自体としてはためになるのだが、この本の「解説」としてはあまり適当でないように思われた。
それは私が、『歎異抄』という著作に対して、特定の時代性を超えてしまう普遍的な人間論を求めているから、なのだろう。無数の欲望がとめられず思い通りにならない他者にイラつき肥大した自我にふりまわされやがて来る死にひたすらおびえている、そんなどの時代にでもいるであろう人間存在のあり様について突きつめて考え、その脱出口を平易な言葉で伝えようとしている書物、そういうものとして『歎異抄』に接したい、と考えているから、なのである。
だから、五木氏による『歎異抄』の主観的な読み方、とくに今現在における解釈のすべて、それをまとめたような本が、むしろ読みたくなってしまった次第である。

五木寛之氏の手による現代人が親鸞の教えに触れるための貴重な書である。5
この五木寛之の『私訳歎異抄』は、五木氏の「主観的な現代語訳」であり、従って氏が述べるごとく「唯円が歎く親鸞思想からの逸脱かもしれない」。しかし、親鸞が『大無量寿経』というテキストを大胆に読み替えたと同様、親鸞思想を説く『歎異抄』を、五木氏が「自分の見解」にこだわった」意訳とも言えるこのような現代語訳が出版されたことは、誠に素晴らしい偉業であると思う。浄土真宗を家の宗教としている方はもちろん、是非、一人でも多くの方に
本書を読んでいただきたいと願う。

親鸞や、その教えを長年、追いかけ続けている五木氏の手になる書だけに
本書の価値は一層増すのであろうと思うものである。