コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来 (ちくま新書)
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #705 / 本
- 発売日: 2009-08-08
- 版型: 新書
- 292 ページ
エディターレビュー
内容紹介
第9回大佛次郎論壇賞受賞
「ポスト成長時代」の中心テーマ
高度成長を支えた古い共同体が崩れ、個人の社会的孤立が深刻化する日本。人々の「つながり」をいかに築き直すかが最大の課題だ。幸福な生の基盤を根っこから問う。
内容(「BOOK」データベースより)
戦後の日本社会で人々は、会社や家族という「共同体」を築き、生活の基盤としてきた。だが、そうした「関係性」のあり方を可能にした経済成長の時代が終わるとともに、個人の社会的孤立は深刻化している。「個人」がしっかりと独立しつつ、いかにして新たなコミュニティを創造するか―この問いの探究こそが、わが国の未来そして地球社会の今後を展望するうえでの中心的課題となろう。本書は、都市、グローバル化、社会保障、地域再生、ケア、科学、公共政策などの多様な観点から、新たな「つながり」の形を掘り下げる大胆な試みである。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
広井 良典
1961年岡山市生まれ。東京大学・同大学院修士課程修了後、厚生省勤務を経て2003年より千葉大学法経学部教授。この間マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。社会保障や環境、医療に関する政策研究から、時間、ケア等をめぐる哲学的考察まで、幅広い活動を行なっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
新書ながら内容充実の一冊
大佛次郎論壇賞受賞ということで買って読んでみました。
著者の本は初めてでしたが、期待以上に充実した内容でした。
全体は3部構成になっていますが、全体を貫く視点は一定です。
それは、「コミュニティはウチ向きとソト向きのバランスが大事」ということで、
この論点が、農村型/都市型、文化/文明、空間/時間、等々に変奏され、
土地の取り扱いの私有財か公共財かの国の歴史による違い、
医療へのアプローチの違い
百万年超に及ぶ時間スパンでの人類や産業の発展サイクルと絡ませての、
コミュニティ・人間の意義についての著者独自の見解など、
壮大なスケールで、コミュニティの原理的側面について、
読者に数多くの気づきを与えてくれます。
この本を読むまでは、「今後は、医療・介護ケアだ」と言われても、
少子高齢化だから、日本はやむなく手をつけざるを得ないという印象でしたが、
単に市場の要請というよりも、文明史的転換を背景にした歴史の必然であり、
しかも今後数十年というよりも、著者によれば400年単位レベルで続くような
動きであることに、自らの不明を恥じることになりました。
これほどの良書であるにも関わらず、レビューの数が少ないので書いてみました。
読みやすいが内容の薄い新書とは違い、間違いなくお勧めできる一冊です。
タイムリーなテーマ
キレル、人たちが増えています。
子どもに限らず、青年も中年も老年もキレています。
それは、つながりがなくなったから=キレルなのだと思います。
本書『コミュニティを問いなおす』では、国家や都市といった大所高所の視線なのですが、
高度経済成長という神がいなくなった日本で、どのようなリンクがあり得るのかを探っていきます。
もちろん、インターネットもそうです。
余談ですが、携帯電話をなくしたりわすれたりする以上の不安というか恐怖をなかなか考えつきません。
携帯=ユビキタス=偏在=いつも誰かとつながることができる状態を保つ神器などという連想が浮かんできました。
白書風コミュニティ論の展開、あるいは官僚の居酒屋談義
これは新書として書かれた「ぎょうせい」出版の白書である。
さらに付け加えるとすれば、居酒屋談義的な「文明論」の要素もある。
本書の筋書きは、とても大雑把にいえば次のようになる
すなわち、「社会」を公共(政府)、共同体=コミュニティ、私(企業、市場)に分割して考えると、
近年の日本は「公」から「私」へと転換した後の社会であり、現在では共同体ベースの「互酬性」を再評価しながら、公―私―共のバランスの取れた政策を展開していく必要がある。
そして、グローバル化の弊害を緩和するためにも、とくに共同体における「社会関係資本」の構築が喫緊の課題である。以上
末尾に「農耕社会」と「狩猟社会」の区別といった、若干トンデモ本のようなくだりも出てくるが、ここは筆が滑ったのだろう。本筋は上記の部分にある。
さて、このように本書は「何かを言っているようで」、実のところ「何も言っていない」。
行政の白書に書かれているような、大多数の人々が賛同できる建て前的文言をつなぎ合わせているようにも見えてしまう。
また、より専門的な見地から、本書の問題点を挙げるとすれば、次の二点がある。
1)本書は引用文献からも、論旨からも明らかなように、パットナムに代表されるような「コミュニタリアン(共同体主義者)」に近しい視点から書かれたものだが、既に多数提出されているコミュニタリアンへの批判や、リベラル/コミュニタリアン論争、あるいは政治学におけるダールなどの「コミュニティの権力」論争を全く踏まえない論旨展開をしており、これまで官僚や御用学者が立脚してきた、一方の立場のみしか紹介していない。
コミュニタリアンが悪いというわけではもちろんないが、片方の視点のみを自明の前提としていることは問題であり、これは良くて「一面的」、悪ければ「イデオローグ的」であるとの批判を免れないだろう。
実際にはより奥の深い問題が、これまで議論されてきたのであって、本書を読まれる方は、この点にはとくに留意していただきたい。
2)大筋としてはパットナムなどの提出してきた「社会関係資本」や「互酬性」の構築を再度提言するものであるが、パットナムらが展開してきたような綿密なデータ分析や、具体的な事例を十分に紹介できておらず、「文明論」的に大風呂敷を広げた議論に終始してしまっている。新書という体裁の限界を差し引いたとしても(しかし新書でも、きちんとした論理展開をした本は多くある)、一般に認められた「良い言葉」を並べた白書的な新書といった感は否めない。
かつてリップマンは「認識から定義する」のではなく、「定義から認識すること」を「ステレオタイプ」と呼んだが、本書の結論も、論旨展開も「農耕文明」がどうしたといったような、ステレオタイプ的な部分が散見され、元ネタであるところのパットナムやジェイコブスを矮小化した議論になってしまっている。
かつての官僚が、どのようなことを考えているのかを知るための資料/史料としては有用であるので、星一つではなく二つをつけた。





