続・三島由紀夫が死んだ日 あの日の記憶は何故いまも生々しいのか
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商品の詳細
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- 発売日: 2005-11-16
- 版型: 単行本
- 304 ページ
エディターレビュー
内容(「MARC」データベースより)
あの日は、どうしていまも生々しいのか。35年経ってもいささかも色あせぬ三島事件の衝撃と意味…。辻井喬、細江英公、蜷川幸雄、高橋睦郎、四方田犬彦、島田雅彦、行定勲らが「あの日」を語る。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
中条 省平
フランス文学者・映画評論家。1954年神奈川県生まれ。学習院大学文学部フランス文学科卒業後、フランス政府給費留学生となり、パリ大学文学部博士号を取得。東京大学大学院博士課程単位取得修了。学習院大学文学部フランス文学科教授。文学、映画、マンガ、ジャズ、ミステリーなどあらゆる分野に関する斬新な評論を発表し新聞・雑誌のコメンテーターとしても幅広く活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
正編よりさらに深く掘り下げられた三島論
これ、正編より全然良い。正編は三島事件をステレオタイプに「平和ボケニッポン」に括るプロローグに興醒めした。この続編では、「三島さんの言っていたことをイデオロギー的に我田引水するようなことがあってはならない」(辻井喬)、「既存の政治勢力が自らの主張のために三島さんの警告を都合よく利用するようなことがあってはならない」(細江英公)、「もうこのあたりで、彼の死を様々な「独断」から解放してあげなければならない」(高橋睦郎)といった、身近だったからこその、冷静で親愛の情がこもったコメントが寄せられており、正編よりさらに深く掘り下げられた内容となっている。
出色なのは辻井喬と高橋睦郎だろう。ドナルド・キーンが三島と旅した際、三島が松と柳の区別もつかなかったというエピソード、あるいは、三島との対談で小林秀雄が「金閣寺」に触れて指摘した「何でもかんでも、君の頭から発明しようとしたものでしょ」という言葉を辻井は紹介する。さらには、橋川文三の「三島の中に日常性に対する本能的な恐れと軽蔑の感情が痼疾のように根づいている」という批評を引用し、三島文学の“虚構性”をあらためて解読しようと試みている。
高橋睦郎の「三島さんは生きている間中、自分の「存在感」というものが極めて希薄な人だった(のではないか)」という指摘も、辻井喬の考察とリンクする。
「「豊饒の海」が最後に突入していったのは、〜ポストモダンの薄明のことだった(ような気がする)」とする四方田犬彦や、「春の雪」を指して、文学とは「ニセ金づくり」とする島田雅彦もたぶん同じことを言っている。
違和感を覚えたのは行定勲のコメント。「春の雪」制作にあたり、“若いクルーには日本の伝統美に対する教養が決定的に不足しているので台湾のカメラマンを使った”という方法論を開示しているが、そのやり口って一種の逃げなんじゃないの?と感じてしまった。
人間いかに生きるべきかの厳しい問い
本書の前編『三島由紀夫が死んだ日』は、彼ををいたずらにタブー視したり、逆に神格化したりしてはいない。続編である本書も著者は「いま何でも許される動物的快楽の袋小路にいてなぜか苛立ちはじめている日本人にとって、三島由紀夫のたどった運命の軌跡は他人ごとではないのです」と訴えている。その死と文学は、不気味で、なまなましい、豊かな謎を秘めている。人間の生の荒涼たる空白感を抱えこんで、徹底してその核心に向かい合うことができるか、読者自ら作品自体を読み返してみる必要がある。
映画評論家である著者は、三島が自作自演した「憂国」のオリジナルネガが日本で再発見されたことを特筆する。2005年8月23日、フランスの有力日刊紙「ル・モンド」が文化欄トップに取り扱ったことを紹介している。「道化役者であり、ドン・キホーテ的である仮面の三島は、深淵の陶酔を満たすために、ひとつの大義を必要とした」と報じたのである。政治的理想への殉死と個人的欲望の満足という両側面をもちながらも、割腹自殺というショッキングな行動に及んだということである。鋭い慧眼と意図的な盲目の混じり合った行為であったとも説いている。
35年経ってもいささかも色あせぬ三島事件の衝撃と、35年経ったからこそ見えてくるあの事件の意味、それはすなわち人間いかに生きるべきかの厳しい問いかけにちがいない(雅)




