三島由紀夫が死んだ日 あの日何が終わり 何が始まったのか
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商品の詳細
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- 発売日: 2005-04-16
- 版型: 単行本
- 278 ページ
エディターレビュー
出版社 / 著者からの内容紹介
なぜ、いま三島なのか?
本年は昭和を代表する文豪・三島由紀夫没後35周年に当たる。それを記念して、来る4月23日より県立神奈川近代文学館(横浜市)に於いて、生誕からその衝撃的な死までを扱う、初の本格的回顧展が開催される。その記念出版と銘打ち、「何故いま三島か」「三島の死とは何だったのか」を問うアンソロジーを企画した。
三島事件当時、既にものごこころついていた人であれば、ほとんどが「あの日自分は何をしていたか」を明確に覚えているといわれるほど、衝撃的で、印象深い事件であったのだが、没後35年にならんとする今日でも、右翼や同性愛とのからみで「三島の死」をテーマとすることはタブーであるとする雰囲気があり、今回の回顧展も議会などの抵抗に遇い、実現に至るまで関係者は並々ならぬ苦労を強いられたという。
しかし一方、「このまま行つたら『日本』はなくなってしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう」(「果たし得てゐない約束」)、「自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう」(「檄」)といった生前の三島の予言が、慄然とするほどに適中していたことに注目し、自分自身も含め多くの人々が彼の死に大きな衝撃を受けた理由として、三島の死を分岐点として時代の意識が大きく変わっていったからではないかと気づく文化人が多数現れてきている。
出口の見えぬ経済的混乱、荒廃する家庭や地域社会、グローバル化の嵐の中で喪失して行くアイデンティティーとモラル……まさに現在のこの日本の姿を「見たくない」と言って自決した三島。文化人の多くは彼が憎んだものの正体に薄々気づいていながら、それを口にすることが憚られる雰囲気が続いたため、35年も沈黙を続けてきたが、現在の深刻な社会情況を見て、ついに各ジャンルの第一人者たる人々が、重い口を開き始めた。それが本書である。
昭和が終り、世紀も変わったことで、「我々は三島の死をどのように受け止め、それによって自分自身と自分の周囲、そして社会はどう変化したのか」をようやく冷静に見つめて、正確に述べることができるようになったのである。
第一線で活躍中の著名人が執筆
本書では、三島と同年輩で親しく交流もした現代文壇の巨匠にして仏教者の瀬戸内寂聴氏(80代)をはじめ、「スパイ・ゾルゲ」などの映画で昭和の精神史を伝え続ける篠田正浩氏(70代)、事件当時から写真界の重鎮となり三島の写真集『薔薇刑』撮影にも立ち会った森山大道氏(60代)、戦後の官僚制の害毒を告発し続け『ペルソナ 三島由紀夫伝』も執筆した猪瀬直樹氏(50代)、事件当時中学生でありながら「偽善」を憎んだ三島の生きざまに感銘を受けて偽善と闘い続ける日垣隆氏(40代)など、各年齢層から、今日も各ジャンルの第一人者として活躍する著名人を選んで執筆陣に迎え、「三島由紀夫が死んだ日」の自分の情況とその時の印象、そしてそれから35年が経過した今日、三島の死は自分にとってどういう意味を持っていると考えるに至ったかを述べてもらう。
編・監修は学習院大学仏文科教授の中条省平氏。事件当時高校生だった氏は、すでに雑誌に映画評論を執筆するなど、三島を彷佛させる早熟の天才であり、文学、映画、演劇、写真、音楽、マンガなどありとあらゆるジャンルですぐれた評論を発表している。その中条氏が、あらゆる文化に大きな影響を与えた最後の天才作家・三島由紀夫の自決が待つ意味を検証すべく、幅広いジャンル、幅広い年齢層から「三島を正確に理解している」と考える著名人を執筆者に選び、自身も「三島の絶望を越えるには」というテーマで名文を寄せている。「いまこそ言わねばならぬ」という決意のこもった文章はみな感動的であり、これらを読めば、三島文学と三島の死が日本の精神史において、いかに重要な意味を持つものであるのかを実感するであろう。
三島評価を根底から覆す説得力
特に、本書によって、三島自決の日本精神史上の位置付けとして、以下のことが、実は先端文化人の間では既に常識になっていることが明らかになる。これらは、一般通念とはかなり異なるものであるはずである。
「三島の自決には、実は政治思想(右翼、ファシズムなど)的背景はほとんどない」
「日本社会の精神的荒廃の根本的原因は、『高度経済成長』を全国民が無批判に歓迎し、それによって、誰もが現代型管理社会を受け入れ、日本の文化・伝統を蔑ろにするようになってしまったことにある。三島はそれを『偽善』と呼んで憎んだ」
「事件のあった1970年は、高度経済成長のピークであるが、『経済大国日本』の豊かさをほぼ全国民が実感し、それまでの文化と全く異なる文化がこの頃から定着した。それは今日でも質的にはあまり変わっておらず、現代文化の不毛、退廃はこの時に始まる。この状況に三島は『もう待てない』と周囲に何度も漏らした」
「三島は、『カネ万能』の経済的繁栄にうつつを抜かすことが、今日のような日本人の『精神的不幸』『倫理道徳の退廃』を招くことを正確に見抜いていたが、誰も彼の批判の真の意味に気づかなかった。が、バブル崩壊以後、三島が何故、今日の事態をあれほど正確に予測できたのか、三島文学に戻って考える必要があるという『再評価』の兆しが現れてきている」
社会に大きな影響力を持つ著名人たちによって展開される上記のような主張は、読んだ者の三島由紀夫に対する意識を根本的に変えてしまうほどの説得力を持っている。
日本文学史、日本精神史に大きな波紋を投げかける、まさに衝撃の一冊!
内容(「MARC」データベースより)
昭和45年11月25日、三島由紀夫、自決。あの日、何が終わり、そして何が始まったのか…。瀬戸内寂聴、篠田正浩、猪瀬直樹ら各界著名人が、三島の死の歴史的意味を考える。没後35年、三島由紀夫回顧展記念アンソロジー。
カスタマーレビュー
35年後からの事件検証
本書がこれまでの三島本と異なるところは、死後35年の現在から当時の社会、思想、時代を投影し彼の死の意味するところが何であったかを当時の若手知識人らが新たに省みているところである。驚愕に値するのは何度も引用されているように彼の先見性の正しさ。左派右派両側から光があててあり、三島の全体像が浮かび上がる。装丁、字体、挿入写真など細部にわたりしっかり作られており三島ファンなら是非手に入れたい1冊である。
その後のニッポンを的確に予見していた三島の言葉
「このまま行つたら『日本』はなくなつてしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう」
これは三島が割腹自殺の半年ほど前に残した言葉である。本書のほとんどの寄稿者が引用するこの言葉は、今の「ニッポン」を恐ろしいほど的確に言い表している。
但し、三島の予見をその後のニッポンがそっくりトレースしてきたという事実、つまり三島の先見性に対する評価と、割腹自殺に至った三島的美学に対する評価は、分けて考えるべきだと思う。三島の予見が正鵠を射てるのに対し、三島の行動は独善的であり、ナルシシズムであり、パフォーマンスであり、その評価は35年を経たからといって変わるものではない気がする。個の世界観を共同体に置き換えることなんて、当時ですらアナクロニズムに過ぎなかったのだから。ただ、その後のニッポンが“バーチャル”なものに嵌り込んで行ったのに対し、三島が自覚的に“バーチャル”なものを創造し、それを律し、自己完結したことについては、来るべき時代への対処法を示していたのかもしれないが。
三島事件を客観的にまとめるべきパートを「平和ボケニッポン」に意図的に締め括るプロローグは残念。
また、今回の複数の寄稿者のうち団塊世代の物言いはちょっと気になった。1970以降の消費生活もポストモダンも先導してきたのは団塊世代であり、そのこと自体はどうでもいい。だけど、いまさら三島を持ち出して「憂国」ぶりを示すのは、それこそ三島的我が儘というものだろう。団塊世代にはもう少し時代の当事者であってほしい。自分達で作り上げてきたニッポン共同体の中で、僕らはあがいていくしかないんだから。今さらヒーローも革命もないんだし。
いまも生き続ける三島由紀夫!
「あの日」、私は小学校の5年生だった。くわえて、あの頃は、「よど号」だの「浅間山荘」だの、表面的にすら、理解困難な事件が頻発していたこともあって、「あの日」の三島由紀夫の行動についても、おそらく「すごい」ことなのは分かっても、何が、どう、すごいのかなどということは、分かるはずもなかった。その後、折につけ、「あの日」に関する理解を多少なりとも深めていったつもりであったが、本書を一読して、三島由紀夫という人間と「あの日」のもつ意味、その射程の長さに、改めて驚きを禁じえない。各方面からの寄稿も参考になるが、「あの日」がいまでももつ、圧倒的な<力>の前には、すべてがかすんでしまうように思う。





