ユダの謎キリストの謎―こんなにも怖い、真実の「聖書」入門 (ノン・ブック)
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #416527 / 本
- 発売日: 2004-10
- 版型: 新書
- 202 ページ
エディターレビュー
内容(「BOOK」データベースより)
彼はなぜ新興宗教を興したのか。何を壊し、何を創りたかったのか。戦略的な意味があった「ヨハネの福音書」。イエスの使徒は、なぜ十二人だったのか。イエスにとってユダは裏切り者だったのか『聖書』はミステリーである。その隠された謎に挑む。
内容(「MARC」データベースより)
イエスはなぜ新興宗教を興したのか、戦略的な意味があった「ヨハネの福音書」、イエスの使徒はなぜ12人だったのか、イエスにとってユダは「裏切りもの」だったのかなど、「聖書」のミステリー、その隠された謎に挑む。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
三田 誠広
1948年、大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1977年『僕って何』で芥川賞受賞。日本文芸家協会常務理事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
キリスト教音痴にもその概要がつかめる好書
この本は、わずか200頁強の本でありながら、イエスとイエスの教団、イエスの教えに肉薄しようという三田のいつも通りの野心的試みである。
三田は、作家らしく、ルカ、マタイ、マルコ、ヨハネの四つの福音書および戦後発見された「トマスによる福音書」「死海文書」の内容のズレから、真のイエスの姿に迫ろうと試みる。若き頃から腐敗・形骸化したユダヤ教の分派を批判し、それがもつ強烈な民族主義を超えて“普遍的な人間の苦悩”の解決のために行動するイエスの姿がまるでそこにいるかのように描かれている。また、十二使徒の一人一人の姿も実に生き生きしていて読んでいて楽しくなる。
『予言書「イザヤ書」に書かれる“屠り場に引かれる子羊”、“彼は自らを償いの捧げ物とした”という部分こそ、キリスト教の宗教原理の根幹であり、イエスは自分自身を「生け贄の子羊」として捧げ、神と新たな契約を結ぼうとした。それこそがキリスト教の教典が「新約聖書」と呼ばれる理由』らしい。
三田はここで大胆な仮説を立てる。熱心党のリーダー格であり、イエスの教団への資金供給を行いと教団のNo.2で会計係でもあったユダは、ローマ帝国支配打倒への意志を示さないイエスを利用できないと最終的に判断したというのだ。最後の晩餐でイエスに「なすべきことをなせ」と言われ、静かに席を立つユダ。神殿兵への連絡、イエスだけの逮捕。そしてゴルゴダの丘でのイエスの処刑・・・。(イエス処刑後数十年経って熱心党は第一次ユダヤ戦争と呼ばれる大反乱を起こしている。)
イエスにはもちろん“殉教の覚悟”というものが常にあったのは想像に難くない。しかし、わずか30歳でその生涯を本当に終えようとしたのだろうか。一人でも多くの人を救うために数々の困難も克服してきた、強靱な生命力と精神をもつ彼は生きられる限りは生きようとしたのではないか・・・。春の朧夜に僕はじっと目を凝らして考え続けている。
テーマの普遍性と真摯な語り口調に好感、史料的補強を待つ
キリスト教信仰について真剣に考えたことのある者であれば一度は「ユダの問題」に突き当たることだろう。三田氏も指摘している通り、キリスト教はイエスの死と復活によってはじめておこる信仰である。その、イエスの死をもたらしたのがユダなのである。その意味でユダは間違いなくキリスト教の礎の一人であった。信仰の象徴としてペテロが、教理・組織面でパウロが礎であったのと同様に。にもかかわらず聖書のどこを読んでもユダには救いがない。著者がいうようにもしかすると彼は己の信念に従い、自主的に判断してイエスを「切り」、そしてその後第1次ユダヤ戦争で勇敢に戦うという充実した生を送ったかもしれない。しかしそれはあくまでも可能性の問題であって、史料的証明がない。資料(史料といっていいかどうかは微妙だが)でわかるのは、彼が孤独の中で「絶望し、後悔の中で自殺」し、後世まで汚い裏切り者の代名詞となった、ということである。
このユダの問題を乗り越えられなければ弱き者の一人として、キリスト教を信じる訳にはいかない。なにしろ自分も又、ユダであるかもしれないのだから。そして自分がユダになるかもしれないという内省のないキリスト教徒の信仰など「弱き者、疲れし者、泣くもの」を救おうとしたイエスの教えを理解しているとは言えないのではないか。おそらく多くの一般キリスト者がそのように思いつつも正面からこのことを言えないでいた。その意味で著者三田誠広氏がユダに焦点をあて、ユダも又イエスの意志に従って動き、後悔のない生を送ったということを言明したことは快挙である。
しかし著者の記述の多くは想像によって補われたものである点は否めない。本来小説家である氏が立てた仮説が、キリスト教史学者によって補強されることを願ってやまない。
最後に苦言を一つ。カバー、帯の売り文句の軽さは本書の価値を下げている。出版社に再考を促したい。
どんどん読める
アマゾンに注文していた。来たら NON-Book だった。本屋でなら手に取っていないだろう。まあ、アマゾンのおかげの出会いだと思うことにしよう。
まず、通常の新書より活字が大きくどんどん読める。著者は「僕って何」の三田誠広。さすがに文章はうまく、やはりどんどん読める。
内容は、イエスと彼の教団の当時の状況をリアリスティックに認識して、キリスト教に対する理解を深めましょう、というもの。結構あるので、yet another という感じは否めない。それでも、資料が少なく議論の多い点を独断でどんどん決めつけて行くので、やっぱりどんどん読める。
結局、初期キリスト教への理解が「どんどん読める本」で得られるというのは、それなりに存在意義があるなあと言う印象を持った。ダ・ヴィンチ・コードが売れていることでもあるし、こんな本もありかなと思う。掘り下げは全然ないけどね。そもそも、NON-Book が掘り下げてはいけません。
私としては、読んでよかったとはあまり思わないけれど、入門にはいいかもしれない。



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