生きているのはひまつぶし 深沢七郎未発表作品集
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #248562 / 本
- 発売日: 2005-07-22
- 版型: 単行本
- 185 ページ
エディターレビュー
出版社 / 著者からの内容紹介
「三島由紀夫がもっとも恐れていた作家」の未発表語り下ろし原稿。
死ぬことはありがたい/なぜ百姓になったのか/土と戯れる/人間はひとつの楽器/生きたくないのになぜ生きるのか/葬式について/恋愛について/男が泣くとき/名刺と権威に弱い日本人/三島の文学について…
内容(「MARC」データベースより)
「楢山節考」で鮮烈にデビューし、衝撃作を生み続けた作者は徹底的に庶民を貫いた。その痛快な生き方は指針を失った現代人に多くの示唆を与え続けている。権威を笑い、百姓志願の飄飄とした未発表作品集。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
深沢 七郎
1914年山梨県生まれ。職業を転々とし、ギタリストなどの生活を送りながら、’56年中央公論新人賞の「楢山節考」で鮮烈にデビュー。三島由紀夫、武田泰淳等から絶賛され、正宗白鳥は「人生永遠の書」とも。日本文学史上の事件とまで言われた。’58年の『笛吹川』は農民一家6代の生と死を描く戦後文学の最高峰との評判も。’60年の短編「風流夢譚」は右翼を刺激し嶋中事件を起こしてしまい、放浪を余儀なくされるが、その間にも、『千秋楽』『流浪の手記』などを発表。’65年には埼玉県にラブミー農場を開き、念願の百姓生活に入る。『人間滅亡的人生案内』は当時の若者の心を捉え、衝撃を与えた。狭心症を抱えつも創作意欲は衰えず、昔味噌を作ったり今川焼の夢屋で、話題を振りまいた。『みちのくの人形たち』では谷崎潤一郎賞を受賞。音楽的リリシズムと、徹底的に庶民の眼差しを貫く文学と生き方は’87年の没後―不透明な時代の指針になりうるであろう(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
ますます深沢七郎的な生き方がむずかしい今だからこそ
深沢七郎の実に十八年ぶりの単行本らしい。タイトルに惹かれて手に取った。深沢七郎は“庶民派”と言われたけど、それは当時大衆と乖離してしまっていた教養主義、権威主義的な文壇、日本文学に対するカウンターとしての表現だと思う。深沢七郎は庶民の共同体的な意識をこそ徹底的に否定する。本書でも、
「人間との結びつきはきらいなんだよ。犬にもあまり慕われるとイヤ。」
「日本人っていうのは、みんなうすぎたないやつだよ、みんな。権威にはウンと弱くてね。」といった言葉が炸裂する。
そして、一見アナーキーなこうした言葉は、人間たって所詮はただの生き物、つまり自然の一部ってことを根本にすえて考えれば理にかなってるのだ。深沢七郎の世界観は、谷岡ヤスジの村(ソン)にも近い。
でも、ラブミー農場も村(ソン)もユートピアであって、多くの人の現実ではない。人間は、たぶん、自然の一部、動物の一員には、もはやなれないから。深沢七郎には、だから共感の一方で反発もある。
いずれにしても、人様の「権威」や「理論」なんてベクトルには動じず、「楽しく暇つぶしで生きよう」って言って、それをまっとうした人がいたってことは覚えておきたい。ますます深沢七郎的な生き方がむずかしい今だからこそ。
焦らずのんびりと力を抜いて生きたいですねぇ
「言わなければよかったのに日記」もそうですが、著者の気負っていない生き方に共感が持てます。昨今流行のスローライフと言ったところでしょうか。肩の力が抜ける一冊です。
私の読書は、その本を読んで1フレーズでも、自分の人生に役立てば元が取れたと思って力を入れてしまいますが、著者の作品だけは例外ですね。特に役に立つことはないものの、読んで良かったというほんわかした気持ちになります。ですから、あまり気合いを入れて読まないのが吉。
酷書
久しぶりに酷い本を読んだ。
自由と無責任は異なる。
庶民派だのなんだのいいながら、二流の執筆者、二流のギタリスト。
三島に対しての態度は死後から悪口を言っているだけ。
最低の書物。未発表で良かったのに。





