私の憲法論―真正保守による改正試案 (徳間文庫)
|
| 価格: |
おすすめ度:
商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #921191 / 本
- 発売日: 1999-05
- 版型: 文庫
- 292 ページ
エディターレビュー
内容(「BOOK」データベースより)
国際社会は「平和と民主」あるいは「ヒューマニズムと進歩」といった類の言葉で対処できるような甘ったるいものではない。そこに漕ぎ出そうとすると、日本国という舟が、そして日本人の手にしている櫓までもが、「戦後」に、とくにその日本国憲法に浸食されていることに気づかざるを得ない。それは、戦後日本人の感じ方や考え方に由来するものなのだが、その哀れな姿を慰撫してくれるものとしての日本国憲法に、風穴を空けることが喫緊の重大事である。
カスタマーレビュー
保守的平和憲法の可能性
暴力が個体間の物理的接触から摂取までを意味しているとすると、言葉は暴力を克服してはいない。暴力は生命の起源より発生し言葉は人類の起源より発達してきたが、言葉は暴力の組織化にも使えるし、言葉はそもそも暴力そのものを克服したりはしなかった。
ところが、現憲法の平和主義は「言葉」以上のものとして非戦への意志を「思想」として全面に出すものである。それが、戦後日本の伝統破壊的な経済主義に言い分を与えたのであれ、安全保障の議論自体を拒否する多数者(大衆)に阿る精神に繋がったのであれ、(組織化された)暴力の克服が単なる「言葉」ではなく一つの「思想」として憲法的に物語られ構想されねば実現しないことを示してきたとも言えるのではないか。勿論著者はそれと真反対の攻撃を現憲法に対して、大衆や戦後やアメリカや平和主義や相対主義に対して加えているのだが、真正の保守が言葉にこだわる以上それは言葉以上に生命の本源たる暴力すら克服する「思想」とならねばならないことは読者は気付いているだろうか。
「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において」(現憲法)こそ、「国際社会に平和が到来するよう切望」(西部案)できまた積極的に活動できるのではないか?
少なくとも、冷戦後の現実に対応した上で現憲法の重厚な日本語以上の文体も新憲法には不可欠である。

