世に棲む日日〈4〉 (文春文庫)
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商品の詳細
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- 発売日: 2003-04
- 版型: 文庫
- 324 ページ
エディターレビュー
出版社/著者からの内容紹介
動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し……
幕府の長州征伐の重圧で佐幕化した長州藩で、わずか八十人で兵を挙げた高杉晋作のクーデターは成功するが、時運は移り変っていた
内容(「BOOK」データベースより)
動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し…。わずか八十人で兵を挙げた高杉晋作のクーデターは、きわどく成功する。幕府は、慶応二(1866)年、この長州藩を圧し潰そうと、天下の兵を糾合し、藩の四境から進攻するが、時運はすでに移り変っていた。維新の曙光を認めながら、しかし高杉はもはや死の床にあった。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
司馬 遼太郎
大正12(1923)年、大阪市に生れる。大阪外国語学校蒙古語科卒業。昭和35年、「梟の城」で第42回直木賞受賞。41年、「竜馬がゆく」「国盗り物語」で菊池寛賞受賞。47年、「世に棲む日日」を中心にした作家活動で吉川英治文学賞受賞。51年、日本芸術院恩賜賞受賞。56年、日本芸術院会員。57年、「ひとびとの跫音」で読売文学賞受賞。58年、「歴史小説の革新」についての功績で朝日賞受賞。59年、「街道をゆく“南蛮のみち1”」で日本文学大賞受賞。62年、「ロシアについて」で読売文学賞受賞。63年、「韃靼疾風録」で大仏次郎賞受賞。平成3年、文化功労者。平成5年、文化勲章受章。平成8(1996)年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
高杉晋作に明治維新を見せてあげたかった。
1867年(慶応四年)享年27歳の高杉晋作が、絵馬堂を前にして
功山寺で挙兵したとき、高杉晋作50人、伊藤博文30人。たったこれだけで幕府に第一次長州征伐で、恭順の意を示し屈服した長州藩本体3000の兵に向かっていった。伊藤が「この人と死ぬんだ」と思ったのも無理もない。高杉のすごさは、頭の回転と人望によって大逆転をしたことだ。絵馬堂を前に、悲壮さの中にすがすがしさがある。この天才を思うとき涙が止まらなかった。「面白きこともなき世を面白く」有名な辞世の句だが、冷めた目と人生や社会への達観は坂本竜馬と双璧だ。坂本も高杉も慶応四年に亡くなり、明治という年を見ることができなかった。維新の功労者でありながら不憫であると思った。伊藤博文が後年下関で、高杉の作った「どどいつ」を宴会で聞き、芸者に聞いたところ、作った人の名前を誰も知らない。伊藤は往時を思い(死ぬ事を覚悟し、必死で国事に奔走した当時の事を思い)ボロボロ泣き号泣始めるのである。私ももらい泣きしてしまった。大事をなした事を民衆に褒められる訳でもなく、自己の使命として人生を全うした高杉を思い、爵位、総理、官位を極めた伊藤が泣いた。もう兄と慕い命を預けた高杉晋作はもういない。吉田松陰の日本人の純粋な使命感に命をとした武士の姿を見る。それは西郷、大久保とも違う。坂本とも違う。
高杉晋作がなければ今の日本はない。
クリオの愛でし子
第4巻を深い読後感をもって読み終えた。歴史現象としての明治維新は高杉晋作なかりしといえどもいずれは生起したのであろうが、しかし本書を読む限り現実の歴史上は、諸勢力によって愈々追い詰められた長州藩に対する彼の捨身の革命的クーデターが、百姓や商人らを巻き込んでうねりを上げつつ佐幕派(俗論党)を一掃した瞬間が、正に歴史の転換点に他ならなかったように思えてならない。正に「その時歴史が動いた」のである。
山県狂介(有朋)の戦い方(外交交渉中の夜襲(69頁)や偽文書による煽動(76頁))も、彼の狷介な性格を物語っているようで興味深い。なお、三傑の一人であった桂小五郎(木戸孝允)の姿は、本書中には殆ど出てこない。(司馬氏は、幕末期の雄藩三藩(薩長土)を夫々『飛ぶが如く』『世に棲む日日』『竜馬がゆく』を通じて描いたことになる。)
「晋作にとっても、むろん最初は攘夷は思想であった。が、すぐ手段にすぎないと思うようになった。・・・・・・ これを鼓吹することによって日本人の正気をふるいたたせ、ゆくゆくは京の天子を中心とする統一国家をおこすてこにもなり、エネルギーにもなるものだとおもった。・・・・・・ もし長州藩が下関海峡で攘夷戦争をやらなければ、こんにちのように士農工商が一つになったこの天下に比類ない集団はできあがらなかったであろう」(173頁)。
高杉晋作の言葉「艱難ヲトモニスベク、富貴ヲトモニスベカラズ」(人間というのは、艱難は共にできる。しかし富貴は共にできない、147−148頁)。正に至言である。
天が与えた「目的」とは何だろうか?
「生とは天の我を労するなり。死とは天の乃ち我を安んずるなり」
この言葉は、藩内クーデターに成功した高杉晋作が突然「洋行する」と発言した後に、伊藤俊輔(博文)との会話の中で出てきた言葉。
そのあと、「晋作にとっての生とは、天がその生に目的をあたえ、その目的のために労せしめるという過程であるにすぎず、死とは、天が彼に休息をあたえるというにすぎない、ということであった」と書かれている。
「仕事というのは全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分は誰にでも出来る。その二分は人にやらせて完成の功をゆずてしまう。それでなければ大事業というものはできない」
「命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり。この始末にこまる人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬものなり」
以上は、坂本龍馬、西郷隆盛の言葉だが、成功した(する)人物の言葉には共通性があるものだ。
三人とも金や名声を「おまけ」程度にしかおもっていない。
自分を動かす最高の要因がそれであってはいけないし、人を動かす要因もまたそれではないのだということを気付かされた。
また、「自分にとって『天が与えた目的』とは何だろう?」と考えてしまった。
読んだことがない人はぜひ読んでほしい。
きっと気づくこと、考えさせられることが多いはずだ。





