商品の詳細
少年讃歌 (文春文庫)

少年讃歌 (文春文庫)
By 三浦 哲郎

価格:

この商品は、このストアからは購入できません。
クリックしてAmazonでの購入オプションを見る


3 新品/中古商品価格 ¥ 1,100

おすすめ度:

商品の詳細

  • Amazon.co.jp ランキング: #182645 / 本
  • 発売日: 1986-11
  • 版型: 文庫
  • 557 ページ

エディターレビュー

出版社/著者からの内容紹介
十六世紀、天正遺欧使節の若者たちが辿ったローマへの道。初めて見た異国、その文化…。八年有余の波瀾と苦難と驚きの連続を描く第十五回日本文学大賞受賞作品!

内容(「BOOK」データベースより)
天正8年の4月、肥前有馬の切支丹の学問所に、コンスタンチノ・ドラードという名の少年がいた。彼が語る、天正遣欧使節に選ばれた日本の若者たちの苦難と驚きにみちたローマ往復の次第。それは8年余の歳月を要した。無為におわった彼らの青春をみごとに描破した歴史大河長篇。第15回日本文学大賞受賞作品。


カスタマーレビュー

背負ったものの重さ4
 天正遣欧使節とは、イエズス会宣教師ヴァリニャーニのすすめによって大友義鎮、有馬晴信、大村純忠の三人のキリシタン大名が四人の少年たちをはるかローマへと派遣した企てをさしています。出発したのが1582年(天正10年)、帰国したのが1590年(天正18年)でした。
 正使は二人。伊東マンショ(13歳)、千々石ミゲル(13歳)。副使も二人。中浦ジュリアン(14歳)、原マルチノ(13歳)。
 この物語の語り手は、コンスタンチノ・ドラードという17歳の少年で、彼は四人の少年たちの従者という立場です。
 四人の少年たちは三人の大名たちの名代としてローマ法王に謁見するだけではなく、ヨーロッパに上陸して後は各地での歓迎行事をこなさねばなりませんでした。好奇の眼で眺められ、楽器を演奏し、ダンスを踊り・・と、いかに若いとはいえ疲れぬわけがありません。中浦ジュリアンはとうとう高熱を発してしまいますが、気丈に振舞います。
 出発して帰国するまでの8年余りの歳月を著者は克明に綴って行きます。
 帰国の途上、少年たちは、秀吉が発した「伴天連追放令」を知ることとなります。
 帰途、少年たちは様々なものを見ることとなります。正使の一人であった千々石ミゲルは言います。

 ヨーロッパではもとより、モザンビケでもゴアの都でも、マラッカでもこのマカオでも、それらしき(奴隷にされた)日本人は一人も見かけたことがなかった。ぱあでれ方が隠したのだ。ぱあでれ方は、自分たちにとって不都合なもの、醜いもの、我等に疑念を抱かせるようなものはすべてひた隠しにして、好都合なもの、自ら誇りうるもの、我等を驚かせ、感嘆させるに足る美しいもの、見事なものばかりを見せたのだ。P450

 少年たちが帰ってきた日本は、「学問所(セミナリオ)はとっくに閉鎖され、神父方もちりぢりになって隠処暮らしをしている」という状態となっていました。それでも彼等は秀吉に帰国の報告をし、持ち帰った数々の品々を献上し、ヨーロッパで習得した楽曲を演奏して見せました。演奏された「千々の悲しみ」を聴いた秀吉は、三度繰り返させ、献上品を喜び、彼らにねぎらいの言葉をかけました。
 ミゲルはその後、棄教、残る三人はそれぞれに信仰を捨てずに布教に勤めます。もっとも長く生きのびた中浦ジュリアンは、以下のような最後を遂げました。

 翌年の10月18日、ジュリアンは、七人の仲間と一緒に長崎の牢獄から引き出されて穴吊りの刑を受けたが、刑場へ入るとき、役人に名を問われると、
 「わたしはローマへ行ってきたぱあでれジュリアン中浦だ。」
 と張りのある声で答えた。
 耳朶に充血死を防ぐための傷をつけられ、腰に重石をつけて汚物の悪臭に満ちた深い穴のなかに逆さ吊りにされてから、ジュリアンは、仲間の一人のポルトガル人宣教師が棄教の合図をして引き揚げられたことも知らずに、まる三日の間、死と闘って、ついに力尽きて絶命した。65歳であった。P550

 ヨーロッパで少年たちが背負わねばならなかったものの重さを考えるとき、私には「健気」という言葉しか浮かんできません。また、スペイン、ポルトガルの行った非道を見てしまったミゲルの悩み、ローマへ行ったという事を人生の核としたジュリアンの死、この少年たちが体験した激動に引き込まれて最後まで読み進みました。