翻訳夜話 (文春新書)
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #14505 / 本
- 発売日: 2000-10
- 版型: 新書
- 260 ページ
エディターレビュー
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東京大学の柴田教室と翻訳学校の生徒、さらに6人の中堅翻訳家という、異なる聴衆(参加者)に向けて行った3回のフォーラムの記録。「夜話」とあるように、話の内容はいずれも肩の凝らない翻訳談義だが、レベルの異なった参加者との質疑応答の形をとっているために、回答内容は自ずから微妙に変奏されており、結果として入門、初級、中上級向けの3部構成の翻訳指南書に仕上がっている。
柴田が書いたあとがきに、「翻訳の神様から見れば、我々はすべてアマチュアなのだ」とあるように、両者の回答は、体系化された技術・翻訳論議に向かうのではなく、翻訳を行う際の、動機や心構えを説明することに費やされている。例えば「大事なのは偏見のある愛情」(村上)とか、「ひたすら主人の声に耳を澄ます」(柴田)とか、あるいは「(翻訳することによって、原文の世界に)主体的に参加したい」(村上)といった具合だ。
途中に、「海彦山彦」と題したカーヴァーとオースターの同一の小品(巻末に原文がある)の競訳が掲載されており、プロ翻訳家たちとの最後のフォーラムでは、これを巡った質疑が展開する。文脈や文体のうねりといった、一般論では語り尽くせない領域で具体的な論議が進行するこの部分からは、競訳ゲームのおもしろさという以上に、テキストと翻訳家との間で生じる本質的なスリルが伝わってきて、非常におもしろい。劇的な魅力たっぷりの、本書の白眉と言っていいだろう。(玉川達哉)
出版社/著者からの内容紹介
なぜ翻訳を愛するのか、若い読者にむけて、村上・柴田両氏が思いの全てを語り明かす。村上訳オースター、柴田訳カーヴァーも併録
内容(「BOOK」データベースより)
roll one’s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。
カスタマーレビュー
なんとも豪華なコラボレーション
3回にわたる、村上氏と柴田氏と翻訳を志す若者のセッション。そして柴田氏と村上氏による、レイモンド・カーバーとポール・オースターの短編小説の「競訳」と、翻訳好きやアメリカ文学好きにはなんとも豪華なコラボレーションだ。
翻訳の話となると、ついいろんな誘いに応じてしまうという村上氏。その言葉通り、3回の公開では自身についての翻訳の魅力を赤裸々というほどに語っている。氏の小説での比喩表現には独特のものがあるが、参加者との対話でも、「翻訳はおばんざいみたいなもの」(冷蔵庫の食材でささっと料理を作るように自然体でするもの)などと、会話での喩えも独特だ。
また、柴田氏のほうも、村上氏よりは職業としての翻訳家をより強く意識していることが感じられ、翻訳を目指す人にとっては、参考になる言葉がつぎつぎと出てくる。
競訳は、とても価値のある試みだったと思う。レイモンド・カーバーの翻訳の際は、カーバーの翻訳を全編にわたってしている村上氏の日本語のほうが長文となり、いっぽうポール・オースターの翻訳の場合はポール・オースターの翻訳を多く手掛ける柴田氏の日本語のほうが長くなった。このあたりは、両者の各原著者に対する思い込みがそうさせているのだろうかと興味深かった。
もともと村上氏と柴田氏は村上氏のジョン・アーヴィングの『熊を放つ』のときに村上氏が翻訳のチェックを柴田氏に相談したことが関係の始まりだという。このふたりの仲のよさ(基本的には尊重しあい、時にたがいにツッコミを入れる)が、惜し気もなく翻訳を語らせる原動力となっているんだろう。
これもまた村上春樹
翻訳に関する技術的な話ばかりで味気ないものかと思いきや、さすが村上春樹。質問者とのやりとりも小気味よく、楽しい講演の様子が伝わってきました。あくまで村上春樹と柴田元幸の翻訳に対する考え方の話ですので読んで翻訳家になれるというほどの本ではないのですが(もちろん読者も期待していないと思います)村上春樹が翻訳に対してどのような姿勢でのぞんでいるかということはわかると思います。
競訳に参加すればより面白い
オースターとカーヴァーの「競訳」がなされていることが、本書の面白い特徴の一つである。村上がよく訳しているカーヴァーと柴田がよく訳しているオースターの短篇の、原文・村上訳・柴田訳が掲載されているのだ。
これらを読み比べ、それについて交わされる質疑を読むだけでも充分勉強にはなるけれど、せっかく原文が掲載されているのだから自分でも訳してみなくては勿体ない。私は翻訳については素人だが、自分で訳してみることで二人の訳文の細かい違いを敏感に感じることができたし、何よりも、両者の強調している翻訳そのものの楽しさを味わうことができた。
これからお読みになる方には、二人の訳文や翻訳論を読む前に、自分の訳を作ってみることをお薦めしたい。





