文学全集を立ちあげる
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #243165 / 本
- 発売日: 2006-09
- 版型: 単行本
- 327 ページ
エディターレビュー
内容(「BOOK」データベースより)
いま女子大生に人気のオースティン。とにかく巧い。ディドロは十八世紀小説の花。小説の勉強に必読。「ポルノ小説集」「SF集」「スパイ小説集」も。「源氏物語」は与謝野晶子の現代訳付きで5巻。都賀庭鐘から樋口一葉まで、十九世紀小説の豊穣。白秋の民謡・童話、朔太郎のアフォリズムのすごさ。戦後の歌謡曲は太宰の「騙り」から生まれた。大江健三郎の文学史的位置づけについて。などなど。「漱石、谷崎3巻。志賀直哉1/2巻、芥川は外してもいい」「まさか!」まったく新しい視点から文学全集を編纂する壮大な試み。世界篇・日本篇計300巻。
内容(「MARC」データベースより)
女子大生に人気のオースティンは、とにかく巧い。ディドロは18世紀小説の花。朔太郎のアフォリズムのすごさ…。まったく新しい視点から文学全集を編纂する試み。世界篇・日本篇計300巻を収録。
カスタマーレビュー
文学ファン必読の書
ほんとに楽しい文学談義。架空の文学全集(そのうち現実になるかも?)の作者・作品撰述について、文学フリークスのお三方があーでもない、こーでもないと語り合う、という趣旨だが、いやそれぞれの意見が微妙に食い違いつつ、しかしまあ、この辺で手を打つのが妥当だろう、というような感じで現代人が読める最高レベルの文学作品がひとつひとつ厳選されて行く過程がすごぶるおもしろい。作家ゴシップ・ネタも多く、小説好きなら確実に単純に楽しみながら読める本だと思うが、古典のブックガイドとしても役に立つ。
常に文学史(研究)の流れが念頭におかれているのはもちろんだが、新たな枠組を提示することも試みられており、また、これまでの文学全集にありがちだった「求道」を避けてエンタメ的・サブカル的なものを評価しようとか、最近の若い作家は読書量が足りないせいですぐに消えるので、文学的テクニックの多様性も把握できるような構成にしようとか、そうした意識も強い。これなら実際に読んでみたいなあ、と思わせてくれる。
ちなみに個人的には、トーマス・マンをめぐる会話が一番好きだ。マンを特に評価しないフランスびいきの鹿島さん対して、三浦さんが自説を頑固に主張する。
鹿島「「魔の山」だけで、一巻でいいんじゃないの?」三浦「とんでもない。「ワイマルのロッテ」とか、入れたいのはいっぱいある。…」鹿島「そうかなあ?」三浦「そうだよ、何言ってんの。…ドイツ文学をなめちゃいけない(笑)。やっぱりドイツ文学に関してね、ちょっと辛すぎるよ。フランス文学三十巻だよ。」鹿島「わかった、わかった(笑)。…」
とかまあ、省略しすぎておもしろみが伝わりにくいが、こういう客観的な評価と個人的な趣味のまじりあいにもとづく意見の対立が随所に見られて、これが、とてもいい。
世界文学漫談と日本文学噂話
台詞の上に名前が書かれていなくても誰が発言したかわかるほど個性的な面々による文学漫談。文学者としてビジョンを打ち出す丸谷才一に、どこか投げ遣りな鹿島茂。批評家としての主張を通そうとする三浦雅士。特に三浦雅士が、「『月夜だけとは限らない』と言われますよ、きっと」などと脅したりすかしたりしながら二人を説得し、主張が通ると「ありがとうございます」などと礼をいうところなど面白い。結局、求道的大河小説のない世界文学全集をつくろうという方針通り『ジャン・クリストフ』も『チボー家』もない原案が出来上がる。フランス文学32巻、ロシア文学10巻、ドイツ文学13巻。中国文学に至っては5巻。
日本文学は、「いま読んで面白いこと」を最大の基準に、なんと『古事記』も親鸞も入った全集が出来上がっていく。しかも芥川が落選しそうになるが何とか救われる。でも『真珠夫人』の菊池寛と抱き合わせ。日本文学は当然時代が下れば下るほど噂話になり、極め付けが「ドーダ」。これは東海林さだお氏の「ドーダ学」を拝借して「ドーダ、俺はこんなにエライんだぞ」と自慢することを意味し、森鴎外や幸田露伴は「ドーダ」の典型と決め付けられる。さらに、その「ドーダ」を「俺が俺が」というあからさまな自己肯定の「陽ドーダ」と装われた謙遜である「陰ドーダ」に分類し、鴎外や子規、それに小林秀雄は陽ドーダ、露伴は陰ドーダと言いたい放題。野間宏などはスピーチが長い、節度がないとまで悪口を言われる。日本文学編は芥川を救った司会の湯川豊がいい味を出している。
贔屓の作家が評価されると自分の鑑識眼が褒められたかのような気分になり、逆に分量が減らされると腹が立ち、心の中で反論を始めてしまう。前から気になっていたけれど読んでいない作家や作品名の解説を読んで、読んでみたいと意欲を掻き立てられた。全集の巻立てはともかく楽しく読める。
この全集ほんとに出したら、売れなくて文春倒産するよね
鹿島の「いまの日本の小説を書きたいという連中はひどくて、無知であることを少しも恥ずかしいと思っていない」という発言を受けて、三浦はこう答える。「いまの日本では音楽家、小説家だけじゃなくて、政治家にしても、官僚にしても、教養というものが必要とされないんだね」。
うん、今の時代、誰も教養を求めていないし、求められることもない。教養ってのは一種のたしなみというか余裕というか人間の幅というか大いなる無駄というか...つまり、実利的なもんじゃないし目的指向なもんじゃないし、即、金には結びつかない。超資本主義で世知辛い今の時代、教養とかインテリの価値は風前の灯である。一方で、トリビアルな知識や専門家という名のオタク、空気を読むのだけはうまいコメンテーターなんてのは重宝がられる、そんな時代だ。
まあ、この三人の膨大な読書量、教養には平伏するしかないって思うのは古い人間で、今の人には単なる読書オタクにしか映らないだろう。だけど、体系としての教養を疎んじて、パーツとしての情報を重宝がるなんて、まさに木を見て森を見ないってことだ。一般教養でなしにトリビアルな知識、ハイカルチャー無しにサブカル・オンリーって時代はやっぱ、薄っぺらくって危うくって信用ならない。行き過ぎたポストモダンの悪弊だよな。
やっぱ、この本読んで、“恥ずかしい”って僕は思いたい。それにしても、この鼎談は、三浦・先導役、鹿島・つっこみ、丸谷・ご意見番って役割分担も明確で面白い(日本篇は、影の編集者、湯川豊氏の仕切りが絶妙)。この三人が、“いま基準”で古典を総括する(芥川も堀辰雄も三島も、あまりいらない...)ってのは意味あると思うけど、これほんとに出したら、売れなくて文春倒産するよね。
最後に、読んだ人への問い。この三人は“陽ドーダ”なのか“陰ドーダ”なのか。“ドーダ”なのは確かだし、“ドーダ”も必要よ!って本ではある。





