ロリータ
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #370470 / 本
- 発売日: 2005-11
- 版型: 単行本
- 462 ページ
エディターレビュー
内容(「BOOK」データベースより)
ヨーロッパの教養豊かに育ったハンバート・ハンバートは、幼い頃の最初の恋で心に傷を負っていた。理想のニンフェットを求めながらも、パリで結婚するが失敗。離婚を機にフランス語教師としてアメリカに渡った彼の下宿先には、一人の少女がいた。ロリータ。運命のいたずらから、ロリータと二人きりとなったハンバートは、彼女とともに車で全米を転々とすることになる―彼らを追跡する、謎の男が登場するまでは。少女愛というタブーに踏み込んだがためにスキャンダラスな問題作として広く知られる一方、本書が幾多の「謎」を重層的に含み込む、精緻極まるパズルのような名品であることは意外と知られていない。その緻密な「謎」ゆえに、今もなお世界中の読み巧者たちを引きつけてやまない文学の逸品、「言葉の魔術師」ナボコフの最高傑作が、発表50年を経て待望の新訳。
内容(「MARC」データベースより)
妄想溢れる中年男、ハンバート・ハンバートが出会ったとき、「ロリータ」は12歳だった…。幾多の謎を重層的に含み込む、精緻極まるパズルのような名品、「言葉の魔術師」ナボコフの最高傑作。発表50年を経て待望の新訳。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ナボコフ,ウラジーミル
1899‐1977。1899年4月23日、帝政ロシア時代のサンクト・ペテルブルグで貴族の家に生まれた。1919年、ロシア革命により家族でドイツに亡命。ケンブリッジ大学卒業後、ベルリン、パリと移り住み、主にロシア語で執筆活動を続ける。1940年、アメリカに移住。スタンフォード、コーネル、ハーバード大学などでロシア文学を教える傍ら、英語でも創作活動を始める。1955年に発表された『ロリータ』が大センセーションを巻き起こし、教職を辞す。スイスのモントルーに移住し、死ぬまでそこで暮らした。ロシア・アメリカ文学史上に屹立する異形の大作家
若島 正
1952年京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科教授。小説論、アメリカ文学研究。『乱視読者の帰還』で本格ミステリ大賞「評論・研究部門」受賞、『乱視読者の英米短篇講義』で読売文学賞随筆・紀行賞を受賞。詰将棋、チェス・プロブレム作家としても知られる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
確信犯としてのナボコフ研究者の覚書
大久保康雄氏のものと並べながら読んだ。若島氏の翻訳の動機からいって、そうした読み方が要求されているからだ。
本書はロリータを読むための本というよりは、若島氏のナボコフの文章を研究するための作品であり、氏がどうしても書き残しておきたかったものと思われる。ナボコフ研究者としてという立場が強いので、一般向け読者サービスはほとんどない。少ないながらの注釈は自分のノートということ。「不味いポテトチップス」(大久保訳)を「おいしいポテトチップス」と直訳する確信犯。また、「ツインベッドに架かっている画は一卵性双生児だった」(若島訳)とは大久保訳では「ツインベッドにはそれぞれ同じ画が架かっていた」となる。
同氏のガイド誌「乱視読者の新冒険」で新翻訳の強烈な予告編を見せられ、読み始めた。文句があるなら英文で読めって?いや、ご勘弁。
センセーショナリズムを越えた傑作
幸か不幸か、ナボコフという名は『ロリータ』ととも記憶されていると言ってもよいだろう。ヨーロッパ出身のハンサムな中年男(ハンバート)が義理の娘であるロリータ(ドロレスの愛称)と一緒に性的な関係を結びながらアメリカ中を旅していくというセンセーショナルな内容もあって大きな反響を巻き起こし、当初はなかなかアメリカで刊行することができなかった。
だが、この小説でもっと魅力的なのは「ロリータ・コンプレックス」という名を生み出すようなセンセーショナルな内容ではなく、ナボコフによる一見何気ない描写であったり作品のもつ複雑さであったりするだろう。例えば、第一部でのハンバートがロリータに触れる触れないという肉体的なドラマは非常にスリリングかつ官能的であるし、第二部でアメリカを周る旅が泊まったモーテルや訪れた場所の膨大な羅列によって描かれるのも面白い。
ナボコフはあとがきで、『ロリータ』は教訓を一切引きずっていないと述べてから、次のように言っている。「私にとって虚構作品の存在意義とは、私が直裁的に美的至福と呼ぶものを与えてくれるかどうかであり、それはどういうわけか、どこかで芸術(好奇心、情愛、思いやり、恍惚感)が規範となるような別の存在状態と結びついているという意識なのである。」
『ロリータ』という作品を表面的な内容によって毛嫌いすることなく読んでいくなら、読者はナボコフのいう「美的至福」をきっと存分に感じることであろうし、この作品に付きまとうセンセーショナリズムを越えてナボコフが『ロリータ』とともに記憶されていることに喜びを感じることになるだろう。
あと、若島氏の注釈が少なすぎるというのは私も同意です。せめて翻訳に関わる註や語句説明はもう少しあっても良かったのはないでしょうか。
本人の語る本人だけの世界の中では正常である
「主人公ハンバートの妄想、独白」の外側に、“これは「ナボコフの小説」である”という“文学の入れ子構造”があってはじめて成立する、文学的な文学だ。センシティブなお題(ロリコン)と妄想の強度を考えると、「これはある男の妄想である」ってお約束を強調しないと日の目を見ない内容でもある、まして1955年という発表年を考えると。そうそう、50年の時を経てってことで言えば訳者があとがきで書いているように「2005年のロリータにアップデイトしようとした結果」の新訳がなかなかいい。「はあ?」とか「大好きっ」とか「もうっこのお、いやらしいスケベおやじ」とか、ロリータの蓮っ葉で下品な感じ(もちろんハンバートの口頭弁論的な叙述)がコギャル風に伝わってくる。
しかし、この自己本位でナルシストのロリコンおやじの「妄想」と「行為」(もちろん並列ではなく、両者には一線がある)に、(そこが文学という開放区とはいえ)ついついハンバート目線で世界を捉えてしまう数百行があるってことは、自分の中に潜在的な欲望があるってだけでなく、ナボコフの文学魔術に負うところも大きいだろう。設定の妙味としてはハンバートがハンサム(自称だけど)って部分ね。これがもしM君的風貌であれば単なる変態、性的倒錯者として引いて見る訳で。ハンバートの語る妄想や行為の異常さ、アンモラルさに比べて、どれだけの人がハンバートを本気で鬼畜、変態、悪魔って言い切れるかっていうと、かなり少数だと思うんだよね(男目線ですが)。それは、傍から見れば異常者でも、本人の語る本人だけの世界の中では正常であるっていうパラドックスであって。まぁ、口頭弁論的に、自分は常識人である、もしかしたら被害者かもしれないって語り方をする訳だし。そこには、下手すると共犯関係、誘惑者のように語られるロリータの痛みは100%、消去されてるんだよね。そこは、この作品の核心だよね。





