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死の棘 (新潮文庫)

死の棘 (新潮文庫)
By 島尾 敏雄

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  • 発売日: 1981-01
  • 版型: 文庫
  • 620 ページ

エディターレビュー

内容(「BOOK」データベースより)
思いやりの深かった妻が、夫の「情事」のために突然神経に異常を来たした。狂気のとりことなって憑かれたように夫の過去をあばきたてる妻、ひたすら詫び、許しを求める夫。日常の平穏な刻は止まり、現実は砕け散る。狂乱の果てに妻はどこへ行くのか?―ぎりぎりまで追いつめられた夫と妻の姿を生々しく描き、夫婦の絆とは何か、愛とは何かを底の底まで見据えた凄絶な人間記録。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
島尾 敏雄
1917‐1986。横浜生れ。九大卒。1944年、第18震洋隊(特攻隊)の指揮官として奄美群島加計呂麻島に赴く。’45年8月13日に発動命令が下るが、発進命令がないままに15日の敗戦を迎える。’48年、『単独旅行者』を刊行し、新進作家として注目を集める。以後、私小説的方法によりながらも日本的リアリズムを超えた独自の作風を示す多くの名作を発表。代表作に『死の棘』(日本文学大賞・読売文学賞・芸術選奨)、『魚雷艇学生』(野間文芸賞・川端康成文学賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


カスタマーレビュー

「時には傷つけあっても あなたを感じていたい」5
 夜間高校講師で糊口をしのぐ売文業の夫トシオによる放縦な生活の果て、篤実な妻ミホが
発狂した。
 種々の意味において、狂気というのはしばしばあまりに鋭いもの。一度、妻の発作に火が
つけば、夫の後ろ暗い過去の急所が、執拗にそして的確に抉り出されてしまう。
 そんな狂気に晒される夫もまた、病みへと引きずり込まれずにはいられない。
 塗り替えることのできぬ過去をめぐる責め苛み、夫はひたすらその過ちへの赦しを請い、
妻も一時赦しを与えたかに見せるも、発作の度にそれらはすべて洗い流され、果てなき狂気の
攻防が繰り広げられる。そこにちらつくかつての愛人の影、妻はさらなる闇へと向かう。
「カテイノジジョウ」、不和と呼ぶにはあまりに苛烈な夫婦間のせめぎ合いは、当然に幼い
子供たちを蝕まずにはいない。
 過去の影に支配された一家の壮絶な修羅場は収まることを知らず、それでもなお、夫と妻は
互いにすがらずにはいられない。「私からもぎ取られてしまえば、彼女は生きて行くことが
できないことに気がついた私は、彼女を手放すことはできない」。

 異常といえば、それはあまりに異常な共依存関係。
 しかし、島尾の描き出す狂気の軌跡はすべての人格に象徴的な寓話となる。
「耐えがたい妻の発作も、あわれが先に立ち、ひたすら眠りこむそのすがたに、愛着の湧き
あがるのがおさえられない」。
 誰のことばだったか、愛の対義語は憎悪ではなく無関心、とはまことに至言。
 愛なるものがもしあるのだとすれば、それはすべて互いを傷つけ合う代償としてはじめて
見出される。
 島尾の文体は時に読む側の胃壁をもただれさせんばかりに真に迫ったもの。
 他者を傷つけずには存在しえぬ、この世に生み落とされた人間の不条理をこれでもか、と
生々しく綴ってみせた、問答無用の名作。

濃密な戦い4
夜、夫婦が眠る前の場面で息が詰まる。10年におよぶ夫の裏切りを恨んでやまない妻はその子細を知りながら夫の口からすべてを告白させようとする。愛人たちの氏名や、彼女らに送った金品の金額。寝床での「尋問」は夫を眠らせず、妻自身も眠らない。夫にとって妻の異常を受け入れることは贖罪だが、自棄をおこして自殺や心中に焦がれるときもある。濃密な戦いのなかで神経をすり減らしていく夫婦の姿は、見てはいけないもののようで時にページを繰るのがためらわれた。妻は女の影を「ウニマ」といっておびえ、自身が深い内省に陥ることを「グドゥマ」と言い表す。彼女が生まれ育った鹿児島の離島の方言らしいが、その呪術的な響きは忌まわしく耳に残る。どれだけ相手を傷つけてもどれだけ許しを求めても、苦しみに出口は見えない。その傍らで日々の生活はつづき、子どもたちは育つ。すっかり狂気の世界の住人になれないところに、夫妻の最大の苦悩があるのかもしれない。

夫婦愛を追究した名作5
 私は20代で読んだ時あまり面白く感じなかったのですが、40代で再読して心に沁みる作品だと思い直しました。おそらく自分も結婚して子供もいるからわかる世界があるんでしょうね。経済的な苦労の部分も私には身につまされるところがあり、等身大の自分に近い状況設定も惹かれた要因でした。
 ミホの純粋さはこの作品の重要な主題です。夫の不義に怒り狂う彼女の姿がいかに醜悪であっても、夫トシオが彼女の狂気に背を向けることができないのも彼女の純粋さゆえです。
 浮気そのものをモチーフにする小説はごまんとありますが、それを罪悪と捉えその贖罪の様を真正面から描く小説はあまり見当たりません。「浮気が罪である」というあまりにも当たり前な道徳観を作者は本気で信じているからこそ、この作品は真実の輝きを帯びるのです。この作品の重苦しさは贖罪というものが当然担うべき重苦しさであると理解すべきです。ミホの狂気が全篇にわたって際立ちますが、実は夫トシオがミホの狂気に翻弄され、時に逃げ出したくなり悪戦苦闘しながらも結局受け止め続けているからこそ、この小説は均衡を得ているのです。だからこの作品はやはり夫婦愛を追究した小説だと言ってよいのです。
 後年島尾氏はクリスチャンになられていますしご夫婦の関係も改善されたご様子で本当はそこまで描けば分かりやすいのでしょうけど、そこまで含めなかったのは作者のいかなる考えによるのか分かりませんが、贖罪に終わりはないという島尾氏の贖罪への思いが込められているのかもしれません。
 映画はつまらなかったと思います。夫の一人称でその内面が綴られる小説のよさがほとんど失われているからです。夫の内面を通じて描かれる内的葛藤の姿がこの作品の命だと私は考えます。ミホも松坂慶子というあまりにもイメージの出来上がった著名な女優が演じているので小説のイメージが全く損なわれています。やはり小説で読むべきですね。