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「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)

「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)
By 橋本 治

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  • 発売日: 2005-10
  • 版型: 文庫
  • 479 ページ

エディターレビュー

内容(「BOOK」データベースより)
“同性愛”を書いた作家ではなく、“同性愛”を書かなかった作家。恋ではなく、「恋の不可能」にしか欲望を機能させることが出来ない人―。諸作品の驚嘆すべき精緻な読み込みから浮かび上がる、天才作家への新しい視点。「私の中で、三島由紀夫はとうの昔に終わっている」と語って憚らない著者が、「それなのになぜ、私は三島が気になるのか?」と自問を重ね綴る。小林秀雄賞受賞作。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
橋本 治
1948(昭和23)年、東京生れ。東京大学文学部国文科卒。イラストレーターを経て、’77年、小説『桃尻娘』を発表。以後、小説・評論・戯曲・エッセイ・古典の現代語訳など、多彩な執筆活動を行う。2002(平成14)年、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』により小林秀雄賞を受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


カスタマーレビュー

三島由紀夫への挑戦状としての本書4
三島由紀夫という作家は全ての価値観に対する挑戦者として文壇の歴史のみならず我が国の歴史にもその名を長く止めるだろう。そして、その熱心なる読者もまた、三島由紀夫に対する挑戦者となる運命を負わされているのである。著者の橋本治氏もまたそのひとりとして、この挑戦を本書において挑んでいる。本書は、極めて論理的に三島の著書の論理を個々の作品にわたって解体し、その欺瞞性を暴露し、三島氏自身の持つ内面の脆弱さ、しかしそれさえも文学的には「繊細さ」と読み替え可能である、を摘発している。本書の前3分の1ほどはその試みが成功しているかに見えるが、それ以降についてはマンネリに惰してしまっているかに見える。橋本氏はこの試みの中で敢えて「敗北宣言」を吐露しているようにも見えるが、正統な三島文学の読み手としての賞賛には十分に値するだろう。すなわち、本書は三島文学解題の重要な橋頭堡として、三島文学愛好家の必読書と言えるであろう。果たして、橋本氏のこの力作を読んで、私の中で果たして今後三島文学を越える小説家は登場できるのであろうか、という疑問が生じた。三島由紀夫は将来の読者や「小賢しい」批評家達に対しても挑戦を突きつけたのであろうか。

…そうだったのか!5
小林秀雄賞を受賞した時から気になっていたんですけど、購入したのはつい最近。
今までに読んだことのある三島作品は「仮面の告白」「禁色」(←途中で放棄)「金閣寺」と、一連の「豊穣の海」作品も「春の雪」ぐらいなので、偉そうなことはいえないのですが(しかも高校生の時なので十ウン年前ですよ…)
でもあの時に感じた違和感(何かヤだな〜、キモチ悪いな〜って感じたんですよ)の正体がこれほどハッキリと説明される日がくるとは思ってもみませんでした!正に眼からウロコ!
あの時は「私が女でホモじゃないからダメなのかなぁ〜」って漠然と思ったんですけど、違いますね。これは。
同時に「禁色」がどうしても読めなくなって放棄した理由もわかりました。

でだしの「アポロ像」のとこから、最後まで全くこちらを飽きさせない展開はまさに圧巻。なにより橋本治の明晰さに圧倒されます。
わざわざ難しい言葉を使うでも無く、整然とした語り口で解体されていく三島像には驚かされます。

特に松本清張とのエピソード、これまでは「三島ってすごい選民思想だったんだんなぁ。」って、思っただけだったんですけど、これは、納得です。
また、祖母/実母との関係は三島本人、または周辺が語ってきた関係とは別の解釈が展開されていますが、これも、こちらの方が納得できる感じがします。
 (後書きがまた深いです。色々考えさせられます。これはある意味終わらない問題なのでしょうね…三島は私の祖父母世代、橋本治は母と同年代、世代間の問題もあるような気がします。その時代を生きた人にしかわからないというような…)
いままで生理的に受け付けないという理由で、読んでこなかった三島作品をもう一度読んでみようかな、という気になりました。
あ、でも「サド侯爵夫人」の舞台の方がもっと見たいかも…

驚愕の三島論5
いやー、驚きました。
本書は、もう発行から五年以上が経過しているのだが、遅まきながら手にとって文字通り驚愕した。橋本治恐るべし、です。
本書の特色は、三島という巨人を、よくあるようないわゆる戦後社会の中の三島、というスタンスをとらず、まっすぐに三島のテキストに肉薄することで、作家の「性(さが)」ともいうべきものをあぶりだす手法で論じきったことにある。そしてそれは、驚くべき水準で達成されていると思われる。おそらく、橋本治という人は、狙ってというよりも、このようにしか小説家というものと向き合えない人なんではなかろうか。類まれな個性が、三島という困難な主題の上に見事に結晶化した趣がある。それが本書だ。文学ファンであれば、是非耽読されたい。
読み終わると、三島とは、主体を分裂させながら彷徨した哀しきひとつの魂であったと思わずにいられない。そして、彼の分裂や混乱をここまで嗅ぎ取った橋本の「性」にも驚嘆せずにはいられないのである。
もっとも、橋本も吐露するように、これですべてが論じつくされたわけではない、そんな不思議な残尿感というべきものもあることはある。しかし、ひとつの本ですべてを要求するのは贅沢というものだろう。いずれにしても、三島という巨人の一角は本書で崩れた、あるいは解明されたと思われる。しかもその一角は、橋本でなければ崩せなかった場所であることは間違いなさそうである。