チンギス・ハーンの一族〈3〉滄海への道 (集英社文庫)
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #478057 / 本
- 発売日: 2000-06
- 版型: 文庫
- 437 ページ
エディターレビュー
出版社/著者からの内容紹介
弟アクリブカとの骨肉の争い、西方戦線での大敗北、南宋との長期戦という状況の中でフビライは日本を標的に定めた。日本討伐に失敗した王家に反乱が続発し、帝国は静かに終焉を迎えようとしていた。
内容(「BOOK」データベースより)
四代皇帝モンケは西へと帝国の勢力を伸ばしていった。しかし四川親征の途中病死してしまうと、皇帝の弟であるフビライとアリクブカとの間で骨肉の後継者争いが始まった。知恵と力で相続争いを制し、五代皇帝となったフビライだが、膨張したヨーロッパにまで及ぶ西方戦線の失敗と、長期にわたる南宋との戦いに苦悩する。その末に定めた標的は海の彼方、日本だった。
カスタマーレビュー
モンケ没(一二五九年)をもって大モンゴルは実質崩壊
第四代皇帝モンケの指揮下、中国・雲南討伐に向かうフビライ(後第五代皇帝に)とペルシャ遠征に向かうフラグの二人の弟を描きながら、陳氏が焦点を当てるのはフビライの漢人参謀・姚枢や子聡。中原統治の秘訣として「大義」「徳」による“政治”を説きます。「モンケはモンゴル武将の統領」、「フビライは漢人も含めた世界のリーダー」を指向。この相違がモンケ側近の策謀をしてフビライを一時失脚に追い込んだ局面では、チンギスにも拝謁した高僧・海雲(愛弟子子聡をフビライ側近に送り、孔孟の道と仏法の融和を企図)による講筵(こうえん)を主催し、広範な漢人仏教信徒を掴むことで危機救済。フビライが後にチベットのパスパを「国師」に迎え、チベット仏教(ラマ教)を繁栄させた因果を想起させます。またチンギス家指導者たちの宗教政策は依然焦点に。チンギス以来の諸宗教融和策は統一モンゴル体制の中に生き続け、当時のフランシス修道会のモンゴル訪問記は、モンケによるキリスト教、仏教、イスラム教すべての儀式参加を記録しこれを印象付けています。ところがモンケ没に続く一二六〇年のフビライ・アリクブカ(末弟)の同時ハーン即位宣言以降は、一二六六年予定の統一クリルタイの機会を、フラグ(イル・ハーン国、キリスト教保護)、ベルケ(ジュチ家、キプチャク・ハーン国、イスラム教傾倒)、アルグ(チャガタイ家、チャガタイ・ハーン国、イスラムが主流)の各代表の相次ぐ死亡で逸し、独立諸国家が特定の宗教を重んじ対峙しあう構造が確定。イスラム過激暗殺教団の台頭も始まります。このような経過から、モンケ没をもって大モンゴルは実質崩壊と見做しているのです。そしてチンギス以来の部族統一の夢に一つの区切りを見取るようにマリアも九十歳の生涯を閉じます。アリクブカとの五年に亘る争いを制したフビライが次に日本に目を向けたのは、クリルタイで権威を打ち立てられぬ挫折を克服するためと予測。





