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終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ (集英社新書)

終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ (集英社新書)
By 木村 元彦

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  • 発売日: 2005-06
  • 版型: 新書
  • 254 ページ

エディターレビュー

出版社 / 著者からの内容紹介
報道されない3000人の行方不明者たち!
コソボ紛争が終結した現在もなお、当地の住人たちは想像を絶する人権侵害の危機に直面している。空爆終了後に6年間にわたって現地に通い続けた唯一のジャーナリストによる、渾身のルポルタージュ。

内容(「BOOK」データベースより)
1999年のNATO軍の空爆により、コソボ紛争は公式には「終結」したことになっている。しかし現地では、セルビア系の民間人が三〇〇〇人規模で行方不明になるなど、空爆前とは違った形で「民族浄化」が続き、住民たちは想像を絶する人権侵害の危機にさらされている。また、空爆による劣化ウラン弾の被害は甚大で、すべての回収には一〇〇年を要するという。本書は、空爆終了後六年間にわたって現地に通い続けた唯一のジャーナリストが、九・一一やイラク戦争の開始以降ほとんど報道が途絶えてしまったセルビア・モンテネグロの現状を告発した、渾身のルポルタージュである。

内容(「MARC」データベースより)
1999年の空爆で公式には「終結」したコソボ戦争。空爆終了後6年間にわたって現地に通い続けた著者が、9・11やイラク戦争の開始以降ほとんど報道が途絶えてしまったセルビア・モンテネグロの現状を告発。


カスタマーレビュー

著者は、おそらく日本で唯一ユーゴ内戦を語る資格を有するライターである5
まえがきにもあるが、現地取材主義という著者の主張に基づいて書かれたルポである。だから、この作品は新書にも拘わらず、バルカンの歴史等は殆ど記されていない。私はこれを「歴史も重要だが、もっと重要なのは今この国では何が起こっているのかを公平・正確に伝えることだ」という彼の主張だと思っている。

といって、彼がバルカンの歴史を知らないのではない。著者には「誇り」「悪者見参」「オシムの言葉」という作品がある。これらは、旧ユーゴサッカーのサッカー選手(監督)が題材とはなってはいるが、旧ユーゴの内戦をルポした優れた作品である。この中で彼はあらゆる民族のあらゆる人々に対して取材しているのだが、それはバルカンの歴史を認識していないとできないことだ。

『民族浄化』という言葉は、ボスニア内戦時に、ボスニア・ヘルツェゴビナのメディア戦略を請け負ったアメリカのPR会社が最初に使用したものである。意味は『ホロコースト』と同じである。そして、この言葉を欧米(特に米)のメディアが繰り返し使用することで、セルビア=悪者というイメージが一般的に広まったのである。

’99年のNATO(アメリカ)空爆によって終結したとされる、コソボ紛争後の旧ユーゴ(コソボ)の状況をルポしたこの作品で、著者はセルビア系住民に対してなされていることは報復ではなく新たな『民族浄化』であると記している。

誰もが加害者であり誰もが被害者であるはずのユーゴ『内戦』に、ある思惑(付属文書B.興味のある方は調べてみてください)をもって『人道』介入をしたアメリカ、「戦争広告代理店(著者はNHKディレクター!)」という作品を読めばわかるが、PR会社の戦略に乗せられて間違った報道をし続けたばかりか、空爆終了後は手のひらを返したように沈黙したメディア。彼らの行為がどんな悲劇をもたらしたのか。著者の作品にはそれが書かれている。

セルビアとコソボ5
旧ユーゴスラビアの内戦ではセルビアは常に悪者であった。
それはクロアチアが情報戦争に勝利し、セルビアに悪のレッテルを貼り付ける事に成功したからであるということは今ではよく知られている。
クロアチアとセルビアの内戦が終わった後もセルビアの悪のレッテルは貼られたままである。そして、コソボの内乱。支配者であったセルビアと解放を求めるコソボのアルバニア人。悪であったセルビアがさらなる悪となり、コソボのアルバニア人が英雄となるにはさほどの時間はかからなかった。

著者はセルビア側、アルバニア側それぞれの対象に直に調査し、自分の目で現状を見つめ、どちらにも肩入れする事のない中立的な視点からこの書を書き上げた。「セルビアも被害者だ」と声高に主張するだけではお互いの罪状を相殺するだけの結果となる。KLAがマフィアと深い関係にあった事やセルビア人もアルバニア人もそれぞれ虐殺を行った事なども広く知られるようになった現在でも、アルバニア人はなぜか正義の側にある。それは内乱に至った経緯やNATOとの関係など複雑な情勢のなかで作り上げあられたものである。

よく取材し、また対象に幻惑されることなく、コソボを巡る現状を淡々とした筆致で記している。付け加えるとすれば、旧ユーゴスラビアの歴史的な事実への考察と論及が少ないところか。アルバニアがユーゴと別れて独立した事や、ユーゴとアルバニアがそれぞれ独自路線を採った事、クロアチア人であったチトーとセルビア人との連邦内における関係などもコソボの歴史的経緯や現状に大きく関わっている。そもそもなぜコソボがユーゴスラビアでそのように位置にあったのかということへの論及がなければなかなかセルビア人との関係が理解しづらいのではいかと気になった。

ヨーロッパで続くもう一つの「拉致問題」5
「教えて欲しい。なぜ私の一族はこんな目に遭わなければならなかったのか」。セルビア=モンテネグロ・コソボ自治州で、子どもをアルバニア人に拉致され、自身もセルビア本土へ難民として避難したセルビア人の父親から話は始まる。遺影を手にうつむいて写る父親の姿に涙した。コソボ自治州で、内戦が終わってから3000人のセルビア人が拉致されているということを全く知らなかった。

本作はアルバニア人、セルビア人双方から被害者たちの心の痛みを気遣いながら、うめき、嘆きを聞き出している。筆者の怒りは当事者となっているどの民族にも向けられていない。ミスリードして単純なセルビア悪玉論を展開したメディア、それに乗って空爆を開始し、今もコソボを監督しているにもかかわらず、民族浄化を放置している欧米諸国に激しい怒りが向けられている。当然だろう。欧米が放置している限り、民族浄化は続くのだから。また、これだけの人が拉致され、殺されているにもかかわらず、欧米との協調のため、コソボに強い立場に立てないセルビア政府への怒りもよく伝わる。だが、筆者の一番の怒りはおそらく、コソボで続く悪夢に世界が無関心であることなのだろう。

憎悪しかないコソボの大地で両者が交わることは非常に困難だ、ということが本書から強く伝わり、ひたすら暗澹たる気持ちで読み進んだ。終わり近くに登場する、子どもをセルビア人に殺されたというアルバニア人の父親が、愛息の遺影を手に語る、セルビア人に向ける温かい言葉が切ない。

できるだけ、引用を排除し、現場にこだわったという本書は、セルビアの周辺諸国で各民族のさまざまな有力者に直接取材もし、質の高いセルビア情勢の報告にもなっている。ともかく、民族の拉致問題は日本だけではないことを知るのに読みたい1冊だ。