ひとたびはポプラに臥す〈5〉 (講談社文庫)
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #275460 / 本
- 発売日: 2002-04
- 版型: 文庫
- 238 ページ
エディターレビュー
出版社/著者からの内容紹介
熱砂に人生の足跡を刻むシルクロード紀行文の極北!
死の砂漠をひたすら前へ――。
いよいよ人生を賭した旅もクライマックスへと到達する。砂のうねりは、荒海の波のようだった。自らが印した足跡を振り返り、思うのは父母のこと。足跡は自分自身であった。生きて帰らざる海・タクラマカンの静寂なる砂上に生の軌跡を重ね、旅は灼熱のゴビ灘から白峰のカラコルムへ。標高5000メートルのクンジュラーブ峠を越え、いよいよポプラ並木が始まった。
内容(「BOOK」データベースより)
砂のうねりは、荒海の波のようだった。自らが印した足跡を振り返り、思うのは父母のこと。足跡は自分自身であった。生きて帰らざる海・タクラマカンの静寂なる砂上に生の軌跡を重ね、旅は灼熱のゴビ灘から白峰のカラコルムへ。標高五〇〇〇メートルのクンジュラーブ峠を越え、いよいよポプラ並木が始まった。
内容(「MARC」データベースより)
タクラマカンの砂上に生の軌跡を重ね、旅はゴビ灘から白峰・カラコルムへ。標高五千メートルのクンジュラーブ峠を越えてパキスタンに至る。豊富な写真とともに辿る、宮本輝のシルクロード紀行エッセイ第五弾。〈ソフトカバー〉
カスタマーレビュー
虚しさという結論
著者が、仏教経典の翻訳者であった鳩摩羅什という人物がかつて旅した足跡をそのまま辿った旅行記。
著者は関西人らしく、会話のはしばしにユーモアがちりばめられていて、面白く読める。また、旅の途上で宮本輝が何を考え、何を見たかがストレートに伝わってきて、興味深い。
ただ、1ヶ所、気になる部分があった。著者は、自分が作り出す物語に自分の解釈や説明や理由付けを行ってはならないと書いている。しかし、自分の解釈がない小説など、毒にも薬にもならない。そんな小説に心が動かされるはずはない。小説とは、人生や社会、事件などへの意見、批判、または問題提起となるべきだと私は考える。何らかのメッセージがこめられていない小説など、存在価値がないと思うのである。宮本輝がなぜそんなことをいったのかは分からないが、私の小説観とは意見が異なるようである。
波乱に満ちた旅の最後に、著者はずっと持ち続けていた感情を自覚する。「虚しさ」である。この言葉がすべてを物語っているように思われる。古代の王、ソロモンは言った。「空の空、すべては空」。何を成し遂げようとも、どんなに富があろうとも、結局はすべてが虚しいとこの王は言ったのである。著者が期せずして同じ結論にたどりついたのも、ソロモンの言葉の正しさを表しているのではないだろうか。
砂漠を越えて見た風景
死の砂漠タクラマカンを越えてようやく中国をぬけ、シルクロードの旅はパキスタンへとはいった。
熱砂のタクラマカンから、今度はパミール高原へと入る。一気に冷涼な山岳地帯へとはいって、本を読んでいるだけでもその環境の落差を感じるくらいだったから、体感するほうとしては限界から限界へのチャレンジに違いない。
個性の強いガイドだったフーミンちゃんともお別れ。町も人もイスラム圏へと移行していくのが興味深い。
生命を枯れ果てさせ吸い尽くしてしまうような砂漠を前に、著者の死生観と小説家としての決意のようなものが滔々と語られる。これまで頭がかたくて文句の多い人間だと思っていた筆者だけど、小説家としては信念のある人なんだと感じた。それがなければ、ちゃんとした小説家にはなれないのだろうけど。
羅什の足跡をたどる旅ではあるけれど、筆者には旅を通して自分自身のターニングポイントを超えようとしたのかもしれない。そう思ってみれば、紀行文といいつつも自分の内面を主に語るエッセイにも納得がいった。シルクロードの姿だけをみたければ、ガイドブックか写真集のようなものを見ればいい。でもこの本は、シルクロードを通して宮元輝がどう感じたかという本なんだとようやくわかった。
文章も写真も言う事無し!
「西安から延々とシルクロードを車で旅しました。」
普通の人がこの旅行を本にしようとしてもこうなるだけだろう。たとえ、旅の目的をもっていたとしても、旅の大部分は単調な砂漠の中をひたすら延々と車を走らるだけ。それをいかに文章にするか、非常に難しいことである。
しかし、宮本輝氏のこの文章は流れがあり、生き生きしている。それは、ユーモアたっぷりの紀行文的な部分と筆者の心を描いた随筆文的な部分との対比が非常にうまいからだろう。
そして何より写真が美しい。写真は北日本新聞社の田中勇人氏だそうだ。カメラマンならあたりまえなのかもしれないが、村や街の人が非常に美しい、こちらもまた非常に生き生きとして空気が伝わってくる。




