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日本語は論理的である (講談社選書メチエ)

日本語は論理的である (講談社選書メチエ)
By 月本 洋

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  • 発売日: 2009-07-10
  • 版型: 単行本
  • 209 ページ

エディターレビュー

内容紹介
主語はなくても論理はある! 人工知能学者が考える「論理」の正体とは。日本語の論理はどんなあり方をしているのか。小学校英語教育の脳科学的危険性……理系と文系を架橋する斬新な日本語論

内容(「BOOK」データベースより)
日本語は特殊でも非論理的でもない!人工知能研究と脳科学の知見を武器に、形骸化した学校文法からは見えなかった、日本語の論理がもつ普遍性と特徴を、非常に明快に解説。返す刀で、小学校での英語教育の根源的問題点を突く。理系と文系を架橋する、まったく新しい角度からの日本語論。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
月本 洋
1955年東京都生まれ。東京大学工学部計数工学科卒業。同大学院修士課程修了。現在、東京電機大学工学部教授。工学博士。専攻は人工知能(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


カスタマーレビュー

日本語と論理の関係を考えるきっかけに4
前著「日本人の脳に主語はいらない」の続編だが、独立に読める。前半
3分の2が日本語の論理性、後半3分の1が教育論に当てられている。

教育論についてはかなり多くの人の賛意を得られるのではないだろうか。
特に「感動の強要」批判と早期英語教育の危険性の指摘は大いに賛同
できる。問題は日本語の論理性の部分である。日本語と英語の相違点を
「主体の論理と空間・容器の論理」「擬人の比喩と容器の比喩」等の
対立項で読み解き、最終的に英語の論理を述語論理、日本語の論理を
命題論理であると結論付ける。前半部はこれまでに類似した主張も多く
なされており、理解できるが、帰結部には疑問が残る。周知の通り、
集合演算は命題論理のモデルであってその意味で同型であると言える。
この集合演算を著者の言う「容器の論理」と結び付けることで、それ
と同型の命題論理に話を持って行きたいのであろうか。いずれにせよ、
読者層や紙幅を考えるとこの種の本では限界がある。万人を納得させる
ためにはフォーマルな体裁で理論を提示する必要があると感じる。
日本語意味論の厳格な定式化としては、本書でも紹介されているが、
既にカテゴリー文法による定式化が提示されている。著者の主張の
正当性は、最終的にこれに対抗できるレベルの理論を提示できるかに
掛かっているように思われる。またこれらに関心のある読者も、本書
が自身の論理を構築するきっかけになるかもしれない。将来の成果に
期待を込めるという意味で、星4つを付けさせて頂きたい。

独自の日本語論4
 月本氏の独自の日本語論。
 「日本語は論理的でない」とする俗説を切り捨て、その論理性を明らかにし、また独自の脳科学の成果に基づいて、英語教育や国語教育にも提言を行っている。一つ一つの主張、全体の主張は検討に値するし、納得できる点も多い。
 しかし、やや本書のサイズでは詰め込みすぎ・端折りすぎではないだろうか。中盤以降の日本語の論理性の主張、脳科学の実験の成果、学校文法、小学校英語教育の議論はやや忙しく、つながりや展開が急である。もう少し余裕をもって論じたほうがなおいっそうよかったのではないだろうか。

この本は、面白いがけっこう論理的でない4
日本語は非論理的であるとよく言われている。「小説の神様」と言われた志賀直哉まで終戦直後には「日本語廃止論」まで唱えてひどいことを言った。

本書はその反証の試みであり、「学校文法」が「自虐的言語観」の原因となっているとか、小学校英語教育は弊害だとかを唱える教育批判の書でもある。

著者の主張は次の3つからなっている。

(1)英語は「主体の論理」と違って、日本語は「空間(容器)の論理」である。

(2)日本語の論理の基本は形式論理である。想像可能性と記号操作可能性を備えており、従って日本語は論理的である。

(3)日本人は母音を左脳で聞き、英国人は右脳で聞く。このことが言語の論理構造の違いとなっている。だから脳機能が未定着な小学生段階での英語教育は有害である。

なかなか刺激的な日本語論で、その主張には共感するところが多く、とても面白い。しかし、著者の論理そのものには納得できないことが多い。素人には記号論理学や数理学的なアプローチが煙ったいということがあるが、やっぱりどこかヘンなのだ。

そもそも論理的でない言語なんてあるのだろうか。どうしても、不等号とか和集合を表現できない言語があるのだろうか。数式や論理式、記号を使わなければ、複雑な論理操作がしにくいというのはどの国のどの言葉でも同じだ。かといって言葉で考えることが不可能というわけではない。

「日本人の左脳」論は、音楽感性の違いとしてよく言われてきた。とはいえ、だからといって小学校英語教育が有害かといえば、やや論理の飛躍があるように思う。それなら帰国子女はみんな日本語がヘンなのか?むしろ、脳の可塑性が低下する10代以降の英語教育のほうが有害もしくは非効率だと言えないか。

この本は、けっこう論理的でない。