ドゥルーズ 流動の哲学 (講談社選書メチエ)
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #250603 / 本
- 発売日: 2001-04
- 版型: 単行本
- 270 ページ
エディターレビュー
内容(「BOOK」データベースより)
「差異」「リゾーム」「器官なき身体」。独創的なキータームを駆使して、鮮やかにまた精緻に、“現代”と“人間”を解読しつづけたドゥルーズ。一切を“流動の相”からとらえるその眼差しに映った資本主義、権力、性、分裂症の姿は?限りなく柔軟、限りなく開かれた、斬新で強烈な「民衆的」哲学の全貌。
内容(「MARC」データベースより)
「差異」「リゾーム」「器官なき身体」。独創的なキータームを駆使して、「現代」と「人間」を解読し続けたドゥルーズ。限りなく柔軟、限りなく開かれた、斬新で強烈な「民衆的」哲学の全貌とは。創造的哲学者の思考の伝記。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
宇野 邦一
1948年、松江市生まれ。松江高専、京都大学を卒業後、ドゥルーズの指導を受けパリ第八大学にて博士号取得。現在、立教大学教授。専攻は、現代フランス文学・思想。著書に、『意味の果てへの旅』(青土社)、『アルトー 思考と身体』(白水社)、『詩と権力のあいだ』(現代思潮新社)など、訳書に、ドゥルーズ『フーコー』『襞』、ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』(共訳)(いずれも河出書房新社)ほかがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
十分わかりやすいですよ
ど素人ですが、わかりやすかったです。
講談社現代新書の入門書よりはるかにいい。
この種の解説書はとかく厳しいレビューをもらいがちですが、
ほとんど予備知識を持たない読者相手に、
たかが1000円前後の200-300ページ程度の本でイントロを全部やろうというのですから、
最初から不可能事に挑戦しているようなものです。
入門書、解説書は、とりあえず間違ったことを書いていないこと、
理解可能なまともな日本語で書いてあることの二条件さえ満たしていれば、
とりあえず合格では?
下のレビューで引用されている箇所は、
最後の部分だからこそ、
感傷的・情緒的エッセイ風の文体で書かれているのです。
本編がその文体で書かれているわけではありません。
私のような哲学の予備知識がない者でも読めたのだから、
誰でも読んで、理解できる本です。
ドゥルーズの良解説書
ドゥルーズの解説本として推薦できる良書である。時代順の解説になっているが、いたずらにバイオグラフィーに視点を置いたような内容ではなく、訳書では難解な部分も少なくないドゥルーズの各論を出版順に追いながら端的に説明している。哲学解説本の良否はそれを読み終えた後にどれだけ解説された思想が読者の記憶に残るか、またその対象の原書を続けて読む気にさせるかという基準で判断されようが、その両方において本書には合格点があげられる。ドゥルーズ哲学の理解に必要な周辺知識への言及も程よく、本書は原著をいきなり読み込む時間のない人がドゥルーズを鳥瞰するには最適な書物のひとつである。唯一の難点は本のサイズと価格である。持ち運びやすい新書とし値段も下がれば、より多くの人にアピールするはずである。なお、こうした解説本を参照せずにドゥルーズを初めて読む人は、分厚いガタリとの共著ではなく、ニーチェ、スピノザ、カント、ヒュームあるいはベルクソン等を分析した初期の諸作から眺めてみるのがよい。
空疎な文章で埋められた解説書
ポストモダン思想の解説書というのは,「解説書」の名に値しないものが多いが,本書も例に漏れない.解説書というのは,本来,解説されるべき思想のあいまいな点をクリアにし,その思想の文脈を知らない非専門家では理解できないような点を補足するべきものであるが,そのような努力が見られない.
ただただナルシスティックな空疎な,そして陳腐な(そういう意味では解説の対象となっている思想家たちの文は,内容的に空疎なのかどうかはわからないが,陳腐でない点で優れているとはいえるだろう)文が羅列されているだけである.たとえば本書の最後の文.
「自然はノスタルジアでも,ユートピアでもなく,たえず動きをとめないリアリティであり,人間の領域にどこまでも浸透しながら,しかも外部性を保っている.自然をめぐる情動が,あるいはパトスがドゥルーズの哲学を,いつも深みから生気づけていた.それが,ひとつの「喜びの哲学」として表出された.ドゥルーズの哲学は,そういう意味で,彼固有の自然主義的モチーフに深く根ざし,それゆえ固有名からはるか遠い場所に,波動を広げていくに違いない.けれどもその潜在性の線が,いま,あるいはこれからどこに,どのように引かれるか,確かめるのは,一人ひとりであり,あなた自身である.」
理解できますか?
もしかしたら,ポストモダン思想というのは言葉を超えたところで思考しているのだからクリアな解説など望むべきではないという意見もあるのかもしれないが,そうであるならば,そもそも解説書などというもの自体が存在するべきではないだろう.





