決闘裁判―ヨーロッパ法精神の原風景 (講談社現代新書)
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #454086 / 本
- 発売日: 2000-08
- 版型: 新書
- 254 ページ
エディターレビュー
出版社/著者からの内容紹介
当事者主義とは何か?生命と身体を懸けて戦うヨーロッパの過酷な裁判!
権利と正義を求め、生死を賭けた苛烈な裁判。究極の自力救済の戦いは、なぜ中世キリスト教世界で広く行われたのか。欧米型当事者主義の本質に迫る。
内容(「BOOK」データベースより)
権利と正義を求め、生死を懸けた苛烈な裁判。究極の自力救済の戦いは、なぜ中世キリスト教世界で広く行われたのか。欧米型当事者主義の本質に迫る。
著者紹介
1949年、小樽生まれ。一橋大学大学院博士課程中退。現在、一橋大学大学院法学研究科教授。法学博士。専攻は西洋法制史。著書に『掠奪の法観念史』──東京大学出版会、『北の十字軍』(サントリー学芸賞受賞)──講談社選書メチエ──など。
カスタマーレビュー
苛烈な「原風景」
昨今の改革のブームの中で連呼される「自己責任」だの「個人の能力の時代」だのという空疎なアジテーション。しかし、その中核にある「個人」という概念はヨーロッパの独自の歴史のなかで作られたものであり、おリベラル知識人のたわごととはちがって、実は過激なものを秘めているのだ!
その「個人」や「権利」、「正義」の過激さを見せつけてくれるのが
『決闘裁判 ヨーロッパ法精神の原風景』(山内進:講談社現代新書)です。
決闘裁判とは何か。
その名のとおり、普通の裁判では決着のつかない問題をなんと当事者間の「決闘」、デュエルで解決してしまおうというとんでもない中世の制度であります。ゲルマン民族の野蛮さよ(笑)。
しかし、例え身分が違おうが性別がちがおうが、装備と条件にハ
決闘裁判――当事者主義の原風景
▽決闘裁判はなぜ存在したのか
聖俗未分離の下での自己中心的世界認識の蔓延と集権的権力の不存在のため。
〈神が真実を見、個々の出来事についても正義を実現してくれる、という人々の
共通感覚があって、はじめて神の前での戦いが成立しうるから、自己中心的
世界認識が決闘裁判の前提にあった、と考えることは妥当であろう〉
中世ヨーロッパでは、国王権力が絶対的な力を持っていなかった。
決闘裁判は、そうした権力分散的な政治・組織構造にみあう裁判制度だった。
▽決闘裁判とは
・自力救済としての私戦を裁判の中に閉じ込め、神聖で
公的なものに転化させ、復讐の連鎖を断とうとしたもの。
・暴力を禁圧しえない国王権力のもとで実行された、さまざまな
実力行使を公的な裁判という回路へと向ける手段。
〈決闘裁判は当事者主義の原風景をなしている。それは、自己の権利を守り実現
するためにフェアに戦うことこそ正義であり、そのために裁判があると考える。
ここでの裁判は、国事としての重々しく権威ある儀式ではない。それは、まず
なによりも個人の権利・義務をその個人の責任において公平に確定するための
空間、自立した個々人が互いにルールを守って戦う空間である。
そこでの主役は、裁判官ではなく、当事者である
すべてを見通す裁判官ではなく、戦う自分自身である〉





