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ニーチェとの対話―ツァラトゥストラ私評 (講談社現代新書 501)

ニーチェとの対話―ツァラトゥストラ私評 (講談社現代新書 501)
By 西尾 幹二

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  • 発売日: 1978-03
  • 版型: 新書
  • 250 ページ

エディターレビュー

出版社/著者からの内容紹介
「《われわれは幸福を発明した》末人たちはそう言って、まばたきする」末人すなわち現代人に向けて、毒ある予言を呈したニーチェの警句は、《退廃》を宿命として帯びたわれわれの心を深く揺り動かさずにはおかない。本書はニーチェの評伝でも解説でもない。平板な無思想状況と人間の卑小化を予見していたニーチェと著者との《対話》を通じて、人間の生き方を問う思索と行動への書である。高貴なる精神とは何か? いま問いなおす意味は大きい。

末人の時代――人間は昔より多く理解し、多く寛容になったかもしれないが、それだけに真剣に生きることへの無関心がひろがっている。すべての人がほどほどに生きて、適当に賢く、適当に怠け者である。それならば現代人に、成熟した中庸の徳が身にそなわっているのかというと、決してそうではない。互いに足を引張り合い、互いに他を出し抜こうとしてすきをみせない。「人に躓く者は愚者」であって、「歩き方にも気を配」らなければならないのだ。人間同士はそれほど警戒し合っているというのに、孤独な道をひとりで行くことは許されず、べたべた仲間うちで身をこすり合わせていなければ生きていけない。「温みが必要だからである。」彼らは群をなして存在し、ときに権威ある者を嘲笑し、すべての人が平等で、傑出した者などどこにもいないと宣伝したがっている。――本書より

著者紹介
1935年、東京生まれ。1958年、東京大学文学部ドイツ文学科卒業。1961年、同大学院修士課程修了。現在、電気通信大学教授。文学博士。著書に、『智恵の凋落』――福武書店、『日本の不安』――PHP研究所、『戦略的「鎖国」』論――講談社、『ニーチェ』(二部作)――中央公論社、『ヨーロッパ像の転換』『日本の教育ドイツの教育』――新潮選書、『自由の悲劇』『ヨーロッパの個人主義』――講談社現代新書など。


カスタマーレビュー

「ニーチェ入門」入門5
「新しい歴史教科書をつくる会」の代表として『国民の歴史』を著し、最近では天皇問題に関する発言でも波紋を呼んでいる西尾幹二は、右翼のオピニオンリーダー的存在になってしまっているが、もともとは世界的なニーチェ研究家であり、『ニーチェ』二巻は日本語で書かれたニーチェ研究書の金字塔的作品と言われている。本書はそんな西尾が研究家としてではなく一人の人間としてニーチェに対峙した個人的かつユニークな本である。
「友情」「孤独」「現代」「教育」「高貴さ」「学問」「言葉」に関する7つの章に分かれており、それぞれに関連したニーチェの言葉が『ツァラトゥストラ』から引用される。ニーチェの入門書というよりも西尾のエッセイという趣きが強いが、個人的には「教育について」と「言葉について」が印象に残っている。
 偏差値教育の撤廃が叫ばれて久しいが、そんなものはきれいごとだとずっと思っていたし今でも思っている。偏差値を物差しに使わずに、いったい何を物差しにすればいいのか。「『人間は平等だから同じ教育を受けるべきだ』と考えるのではなく『同じ教育を受けていなくても人間は平等だ』と考えることはできないのだろうか」という西尾の言葉は、ゆがんだ平等主義に囚われている教育関係者や父兄にぜひ聞かせたいと思う。
「言葉について」では言葉と行為の分裂について論じられている。行為の方が一次的であり、言葉は二次的な影に過ぎない、と西尾およびニーチェは言う。もっともその一方で、言葉が人間を人間たらしめていることもまた真実であろう。まして哲学において言葉は命にも等しい。西尾が哲学研究家にとどまり哲学者になれない(ならない)のは、言語信仰の欠如が災い(幸い)しているからかも知れない。哲学的とは言えないが「ニーチェ入門」入門として、もはや古典ともいうべき名エッセイ集である。

わかりやすいが妥協しない5
西尾幹二のニーチェ理解は信頼できる。よくあるニーチェ解説書のように
結局は著者の独断にすぎないものを、ごてごてした文章で開陳するもの
ではない。「ニーチェがわかった」と思った瞬間、「それで君は何が変わった
のか?」とニーチェはニンマリと語りかけてくる。そういうことをしっかり

踏まえて、わかりやすい文章で書かれている。同じ著者の「ニーチェ」また
彼が訳したショーペンハウエル「意志と表象としての世界」も併せて読むと
ニーチェが近くなるだろう。ニーチェはわかろうとするものではない。体験
するものだ。

読んでも読まなくても読め3
『ツァラトゥストラはこう言った』をネタに、ニーチェ研究者の著者が好きなことを書いた本。

ツァラトゥストラは本来難しい本ではなく、哲学史だの弁証法だのわかっていなくても簡単に読める。一般の読者はニーチェの文章に直接触れて楽しむべきだろう。特に入門編が必要だとは思われない。

とはいえ、著者は卑近な例を引いて、ニーチェの言わんとしたところが、読者の生活の中にも見事に再現されていることを証明する。その解釈が素人の勝手読みではなく、専門家の意見だということが安心できるだろう。また、著者は自意識に悩む青少年にありがちなニーチェの誤読--俺は超人だ!大衆はゴミだ!的なそれ--をも戒める。

新書の入門編の部類としてはいい本であるが、いかんせん相手がニーチェである。ツァラトゥストラの輝きに照らされる一つの衛星みたいなものだ。これを読んでも読まなくても、『ツァラトゥストラはこう言った』は読むべきである。