官僚とメディア (角川oneテーマ21 A 62)
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商品の詳細
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- 発売日: 2007-04-10
- 版型: 新書
- 211 ページ
エディターレビュー
内容紹介
佐藤優(起訴休職外務事務官) 絶賛!
「国家もマスコミも内側から壊れていく。本書は官僚とメディアの凄まじい癒着と腐敗をえぐり出した衝撃的なノンフィクションである!」
メディアと官僚の癒着は、ここまで進んでいる!
耐震偽装事件に見る国交省とメディアの癒着、最高裁・電通・共同通信社が仕組んだ「タウンミーティング」やらせ事件・・・なぜメディアは暴走する官僚組織の支配に屈するのか?独自取材で驚くべき真実が明らかに。
内容(「BOOK」データベースより)
官僚の爆走と、すり寄るメディアの深い闇。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
魚住 昭
1951年熊本県生まれ。1975年一橋大学法学部卒業後、共同通信社入社。その後、司法記者としてリクルート事件などを取材。1996年共同通信社の社会部チームで書いた『沈黙のファイル―「瀬島龍三」とは何だったのか―』(現在新潮文庫)で日本推理作家協会賞を受賞。同年共同通信を退社し、フリージャーナリストとなり、現在に至る。2004年『野中広務 差別と権力』(講談社)で講談社ノンフィクション賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
昔から変わらない
国家権力とメディアの持ちつ持たれつの構造を具体的な事例を挙げて紹介している。そう言えば、NHKの番組改編と朝日新聞の誤報疑惑は結局解決されたのだろうか?太平洋戦争当時の元参謀が著者に向かってこう言ったそうだ。「あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞の責任はどうなんだ。あのとき新聞の論調は我々が弱腰になることを許さなかった。我々だって新聞にたたかれたくないから強気に出る。すると新聞はさらに強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ。」本書を読むとこのような権力とメディアの関係が現在でも何ら変わっていないことに気づかされる。著者は、メディアは経営者や株主や広告主のものではなく、無数の読者のものであるはずだと書いているが、これを実現させるための具体的な提言を著者に期待したい。
メディアに何かを期待すべきなのか?
本書を読むと、現在のメディアを巡る問題状況−いやメディア自身だけに留まらず、それが関わる森羅万象を巡る問題状況と言ったほうがより適切か−が一つの揺ぎ無い構造の上に成立していることをいやが上にも痛感させられる。
メディアが文字通り「媒介者」でしかない以上、その入力を掌握するもの=公権力がいかようにも動かすことができるというのは、あまりにも自明な、そして磐石な構図である。逆にそのような構図にも関わらずメディアが反権力であるという妄想が許された時代が牧歌的であったという気さえするほどだ。記者個人の姿勢はともかく、総体としてのメディアは権力と一体である。哀しいかな、代議士の世襲を批判しようにも、今や政治記者の身分が三代に渡って世襲されるご時世なのだ。
言論統制といえば今だに北朝鮮を例に挙げることが多いが、かの国のように公然と「言論統制する事」を行うような仕組みは、メディアへの入力としての「情報」は統制できても、言論の基盤となる人々の意識を制御することはできない。比較してわが国は言論の自由がタテマエとなっているために、情報を統制することが意識=言論を制御することに直結する。 何でも言えるはずのメディアが黙っているということは、そこに何か言うべき事実が存在しないと見なされる。少なくとも国民はそう見るように馴らされている。
魚住氏は元記者であり、かつての同僚たちの一片の良心に期待しているようだが、その点については少々異論がある。記者個人個人の努力や力量よりも、むしろ、大企業の広告と公的機関の発表情報に牛耳られたメディア空間で、高額所得を保障された記者が記事を書く、というこの構造の抱える欺瞞を多くの人々が認識することからしか、突破口は開けないのではないか。
「時代の空気」を支配するもの―メディアはだれのものか
去る4月25日、地元紙『北海道新聞』において、「検証・拓銀破たん10年」なる興味深い特集記事が掲載されていた。それは1997年11月に経営破綻した拓銀(北海道拓殖銀行)に関する証言で、破綻の前年までの2年間、旧大蔵省銀行局長を務めていた西村吉正氏(現早大大学院教授)へのインタビュー記事であった。その中で氏は、拓銀破綻は想定外だったとし、拓銀を巡る報道の「無責任さ」を嘆き、次のように述べるのだ―時代の空気と無関係に行政運営が行われることはあり得ません。それは非常に大事な要素、いや、すべてと言っていいほどの影響を持つものです、と…。
「空気」といえば故・山本七平氏の『空気の研究』を彷彿とさせるが、上述したような「時代の空気」を醸成、支配しているのがマスメディアであり、当然、この「空気」による犠牲者はひとり拓銀だけではあるまい。本書でも指摘しているが、直近では、耐震偽装疑惑やライブドア・村上ファンドなどに関する「事件」も、ある意味では「空気」による犠牲者かもしれないのだ。さらに深刻なのは、近年、国土交通省や検察等の司法機関が「空気」捏造の「共謀共同正犯」、否、「主犯」格となってきている事実であり、著者も己自身の記者経験を踏まえつつ、当書で警鐘を鳴らす。
本書では、メディアと権力との「共犯関係」「癒着構造」を具体的な事例を挙げて告発している。その近因は何と言っても、メディア側の「客観報道主義」という名の「無責任主義」であり、もっとも悪質なのは、新聞記者どもが記者クラブ制度に安住し、戦前にもみられたように権力の「情報提供者」「情報幕僚」として振る舞っている、という実態だ。「昔陸軍、今検察」と称されるごとく、特に、特捜検察などは今や「ブレーキの壊れた車のように暴走し始めている」(本文)始末で、最高裁を含めた「司法の腐敗」を糾明、弾劾するようなメディアは、もうこの日本には存在しないのだ。





