犬身
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商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #52444 / 本
- 発売日: 2007-10-05
- 版型: 単行本
- 512 ページ
エディターレビュー
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タウン誌「犬の眼」の編集者、八束房恵は、人を愛したことがなく、自分は半分犬なのでは、と思うほどに犬を愛している。取材で知り合った陶芸家、玉石梓と再会した房恵は、自分を負傷させてまで飼い犬の安全を守った彼女に惹かれ、交流を深めるうちに「あの人の犬になりたい」と願うようになる。房恵に興味を持ち、自らを魂のコレクターだというバーのマスター、朱尾献と死後の魂を譲り渡す契約を結んだ房恵は、オスの仔犬、フサとなって梓と暮らしはじめるが、梓の家族関係がいびつに崩壊していることを知る。
梓を苦しめる人間にできるのは、吠えることだけ。そんな自分に無力感を感じながらも、フサは、何も求めない、穏やかな愛を与えることで、犬なりに彼女を守ろうとする。飼い犬のように愛し、愛されたい房恵=フサは、梓の、これまで誰も入り込めなかった心の深みに入り込めるのだろうか? セックスの介在しない愛は、房恵自身を、満たしてくれるのだろうか?
松浦理恵子は、1978年に『葬儀の日』で「泣き屋」と「笑い屋」の愛を描いて文学界新人賞を受賞した。その後も、『ナチュラル・ウーマン』では女性同士の愛、『親指Pの修行時代』では親指がある日突然ペニスになってしまった女子大生の性遍歴と、一貫して、あまり一般的ではない愛を描いてきた。7年ぶりの長編小説である本作では、主人公が犬になることで、また新たな性と愛の可能性をひらいた。2008年度読売文学賞受賞作である。(取理望)
内容紹介
あの人の犬になりたい。そして、人間では辿り着くことのできない、心の深みに飛び込んで行きたい。「自分は犬である」と夢想してきた房恵が、思いをよせる女性の飼い犬となるため、謎のバーテンダーと魂の契約を交わす。ところが、飼い主の家族たちは決定的に崩壊していた。オスの仔犬となった「フサ」は、彼女を守ることができるのか? 『親指Pの修業時代』から14年。今、新たに切り開かれる魂とセクシュアリティ。
内容(「BOOK」データベースより)
あの人の犬になりたい。そして、人間では辿り着くことのできない心の深みに飛び込んで行きたい―『親指Pの修業時代』から14年。今、新たに切り開かれる魂とセクシュアリティ。
カスタマーレビュー
ラディカルな「愛犬」のかたち
「裏ヴァージョン」以来7年ぶり、待望の小説です。
愛犬家による小説やエッセイはたくさんあるけれど、さすが「親指Pの修業時代」の作者、凡百の犬好き本とはまったく違います。
犬を安易に擬人化するのではなく、犬になって、好きな相手の心に飛び込んでゆきたい、という、「ドッグセクシュアル」な感覚が描かれています。
挿入を至上のこととする画一的なセクシュアリティとは別の快楽を追求しつづける作者の、新たな挑戦です。
里見八犬伝からイギー・ポップまで、犬づくしのページをめくりながら、読者は、犬の目を通して世界を見るという、未知の体験をするでしょう。
とくに犬好きではない自分にとっても、それは不思議な冒険の時間になりました。
魂のレベルで肉体を語る
著者が一環して描いてきたテーマは「性愛」と表現されがちだし、私自身も一言で表せと言われれば迷った挙句結局「性愛」と答えると思うのだが、この言葉が的外れでないにしろどうもしっくりこない気がいつもしていた。この作品ではそれが特に顕著に感じられる。
『犬身』は自らを「種同一性障害」「ドッグ・セクシュアル」であるとする主人公・房恵が(比喩ではなく)犬になる物語だが、彼女が飼い主である梓に抱く愛情には恋愛感情に伴うような嫉妬心と無縁だし、男が女に、女が男に、あるいは男が男に、女が女に抱くような性的欲求もそこにはない。
ただ、「撫でられたい」という欲求、撫でられることに肉体的な「心地よさ」――それはいわゆる「性的な」反応と酷似している――を感じるだけだ。梓と房恵の間に通う無言の情感の濃密さは、定義によっては「恋愛」の範疇に入りそうでも、入らなさそうでもある。
つまり性別どころか種の枠組みさえ簡単に取り払い、肉体を超えたところでなお肉体的快楽についても言及しようとするこの小説では、「性的〜」という言葉そのものがそぐわないのかもしれない。
近親に対して性的欲求を感じる人間は性別の意識が極めて強い、という仮説が作中に登場するが、梓の兄・彬はその意味でこの作品が取り払おうとしている枠組みそのものとも捉えられる。朱尾が、房恵の梓への性的態度に注意深くなるのも、性的な枠組みに囚われることで房恵の魂が肉体に囚われることを懸念するからかもしれない。
松浦的通俗小説といっていいのか
松浦理英子は一貫して、一般的な性愛の概念とは違ったかたちの人間関係のありようを描き続けていて、この小説も変わらずその変奏曲であるといえる。
主人公の房恵が、自らドッグセクシュアリティと呼ぶ「あの人の犬になりたい」という欲望をつのらせ、ついには犬になってしまったあたりまでは、いかにも松浦理英子的な官能表現にさすが、と唸らされていたのですが、物語の思わぬ展開に、全然別の意味で引きずり込まれてしまいました。。。ある意味すごい通俗的な展開。止まらなくなって一気に最後まで読んでしまいましたが。。。
この通俗さはもしかすると小説家としての成熟というべきものなのかもしれないけど、そっちに引きずられて、どうも犬としての房恵改めフサが表面的なものになってしまって、結末も含め最終的に中途半端な感じがしてしまった。
いや、小説としてはすごくおもしろいですよ、飼い主となる梓の家族の人物描写も巧みで、止まらない。たぶんこのほうが一般受けするだろうし。
でも、こういうおもしろさは私は松浦理英子には求めていないのですが。もっと、大学の同級生の久喜とかの関係性を掘り下げていくとかのほうが、松浦小説としては深いものになったと思うけどな、と個人的には惜しまれます。
もし、確信犯的にこのような通俗的組み立てをしているとすればそれはそれであるかもしれないけど、この小説に関しては結局のところ「犬になった女性が遭遇した物語」で終わってしまって、松浦理英子が挑み続けている本質的なところに及ばない気がしてしまいました。松浦理英子だからこそあえて星3つで。




