職業としての政治 (岩波文庫)
|
| 価格: | ¥ 483 1500円以上は送料無料 詳細 |
発送可能時期: 在庫あり。
販売、発送は Amazon.co.jp
商品の詳細
- Amazon.co.jp ランキング: #7759 / 本
- 発売日: 1980-03-17
- 版型: 文庫
- 121 ページ
エディターレビュー
内容(「BOOK」データベースより)
あらゆる政治行動の原動力は権力(暴力)である。政治は政治であって倫理ではない。そうである以上、この事実は政治の実践者に対して特別な倫理的要求をつきつけずにはいない。では政治に身を投ずる者のそなうべき資格と覚悟とは何か。ヴェーバー(1864‐1920)のこの痛烈な問題提起は、時代をこえて今なおあまりに生々しく深刻である。
カスタマーレビュー
時代の皮肉
ウェーバーの死の1年前、1919年に行われた、次代を担うであろう学生達に向けた講演の記録。
誰もが指摘するように、古典中の古典だが、得るものは多い。
政治の持つ暴力性、現代的な政治を職業とする者の分類、そして政治家に期待される倫理、さらに資質……これらのことに関して論じたところは未だに色あせない。
そして、多くの人が、これらのことについては語ってしまっているので、本書の違う部分に目を向けたいと思う。
ウェーバーはこの当時、ワイマール憲法の起草委員会のメンバーだったと記憶している。
高校の歴史や政治経済の教科書などにも出てくる通り、基本的人権という面において、当時としてはもっとも完成度が高かったとされる憲法だ。
自分の記憶が確かなら、起草に当たって政治社会学、法社会学の泰斗として、ウェーバーの果たした役割もまた大きかったに違いない。
そして、この講演…特に政治家の倫理や資質を語る部分は、当然、この憲法に基づくドイツの政治をこれから担う若者に対して発せられた、政治を職業とする者はかくあるべしという、ウェーバー流のメッセージのはずなのだ。
さらに、彼はロシア革命を「乱痴気騒ぎ(カーニヴァル)」と言って嫌悪感を隠さず、政治的な熱狂によって導かれる政治を否定しさっていた。
また、当時のドイツの政治状況をちくりちくりと批判し、警鐘を鳴らし、こうも学生達に呼びかける。
10年後にもう一度集まって、同じテーマで論じてみたいものだと。
彼ら学生に、危機的状況を乗り越えて、穏健な民主国家としてドイツの未来を形作っていって欲しいと期待していたことが、ありありと窺えるではないか。
彼の講演を生で聞いた学生達は10年後を、さらにその後をどのような思いで眺めていたのだろうか。
10年後には、ワイマール体制は機能不全の態を表し、1933年にはヒトラーが首相に就任するに至る。
ナチ政権はまさに政治的熱狂が生み出した、ワイマール体制の理想の対極に位置するものだった。
その後、ナチの支配はより堅固なものとなり、誰もが知る通り、ドイツは戦争への道をひた走り、戦争の敗北によって瓦解する。
ロシア革命以上の乱痴気騒ぎと言わずして何と言おう。
こうして見ると、この講演も歴史の徒花になりかかったのであり、何とも皮肉を感じてしまう。
それでもなお、時代を超えて生き残り、我々にも訴えかけてくるものがあるのは、さすがに誰もが認める名古典にして名講演と言わざるを得ない。
読むたびに新たな発見。
古典というのは大したもので、読み返すたびに新たな発見があるものだ。以前読んだ際は、政治家の倫理について述べた後半部が印象に残ったが、今回再読して感心したのは職業政治家の諸形態について論じた中盤部の記述である。
そこを読むと、最近の日本における小泉総理の族議員に対する勝利という現象が、十九世紀末の英国における党リーダーと党官僚の名望政治家に対する勝利という現象とぴったり重なることが分かる。そこから帰結するのは、国会議員の総イエスマン化と、デマゴーグに導かれた事実上の人民投票制の到来である。
ドイツ流分類学の最も良質の部分を受け継いだヴェーバーの簡明な分析は、読んでいて小気味良い。翻訳も読みやすいので、是非手にとって見てほしい。
ウェーバーの政治観
この本は紹介にもあるとおり、第一次大戦終了直後のドイツにおける、学生に向けたウェーバーの講義を収録したものです。内容自体は大体三部に分かれています。一部では政治の本質、二部では諸国の政治形態を例にとった政治分析、三部では職業的政治家に求められる倫理について論じています。私は諸国の政治体制について詳しいわけではないので、二部の分析が的を射ているのかどうかはよくわかりませんが、一部と三部の議論はいずれも核心を突いていて、簡潔ながらも意図がよく伝わってきました。彼の政治観の根本は徹底的なレアル・ポリティークであって、安易な理想論・理念偏重主義を厳しく戒めているのだと私には読めました。





