ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説 (岩波文庫)
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商品の詳細
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- 発売日: 1974-01
- 版型: 文庫
- 189 ページ
カスタマーレビュー
若きマルクスの力作論考
本書は小さな本であるが、内容はおそろしく深い。マルクスはヘーゲル哲学と格闘しつつ己の思想を練成させ、『ヘーゲル国法論批判』という大部の草稿を著したのだが、そこでの結論的なものをブラッシュアップさせてコンパクトにしたものが、この『ユダヤ人問題によせて』である。この論文で有名な「人間的解放」の概念を提起するのだが、そこで「政治的なるもの」を如何に処理したのかに注目して読んでほしい。そうすると社会主義云々と全く関係なく、その現代的意義が見えてくるだろう。私の解釈はここでは控えるが、くれぐれも政治的解放=ブルジョア革命、人間的解放=プロレタリア革命などとは単純に読まないでほしい。難解ではあるが、マルクスなど今更と言わず、まず手にとって読むところから始めたい。
マルクスをマルクスたらしめる契機となったふたつの初期論文
『ユダヤ人問題によせて』では、自らがユダヤ人(といっても父の代にプロテスタントに改宗していたが)であるマルクスは「ユダヤ人の社会的解放は、ユダヤ教からの社会の解放である。」と、つまりユダヤ人がユダヤ教を捨ててユダヤ人を辞め、普遍的な市民社会の一員になることだと結論づけ、のちのマルクス主義の普遍性と「宗教は阿片である」との宗教批判の態度を明確にしている。『ヘーゲル法哲学批判序説』は、人間精神の発展こそ世界史の発展そのものであるというヘーゲル哲学を「逆立ち」していると批判、生活する人間の発展が世界史を発展させるという、のちの史的唯物論を確立する萌芽が見られる。史的唯物論においては下部構造たる生産構造が、上部構造たる政治、法律、芸術、宗教などの文化を規定し、下部構造が変化すれば(農耕革命、産業革命)、上部構造たる社会制度は変化せざるを得ないという革命理論が展開される。本書は、初期マルクスの思考を知るための文献である。
城塚登氏の訳者解説が秀逸
この本はマルクスの「既存の一切に対する仮借の無い批判」として出版されたものですが、文章が仮借なく晦渋で読みにくいことから、読み続けるには相当の忍耐力が必要とされますが、あとがきに該当する 30ページを超える城塚登氏の訳者解説が秀逸です。
マルクスはユダヤ人であるが、「ユダヤ教の現世的基礎が私利私欲にあること、彼等の世俗的な神が貨幣であることを確認した上で、実際的欲望、利己主義が実は市民社会の原理である」とし、「貨幣はあらゆる神を貶め、それらを商品に変える。この疎遠な貨幣の存在が人間を支配し、人間はそれを崇拝するのである」と喝破するのである。
青年ヘーゲル学派(Jung Hegeliana)として活躍しつつ、やがてヘーゲル法哲学を批判することとなります。
ヘーゲルは国家から出発して人間を主体化された国家たらしめるが、民主制は人間から出発して国家を客体化された人間たらしめる。宗教が人間を創るのでは無く、人間が宗教を創るのであったように、体制が国民を創るのでは無く、国民が体制を創るのである。
この若い時代に、既に官僚主義の弊害に論述しているのは注目に値します。
ヘーゲルは「官僚には、国家の意識および卓越した教養が存在し、合法性と知性とについて国家の基柱をなす」とするが、官僚制の普遍的精神は、内部の位階秩序によって外に向かっては閉鎖的な職業団体と言う性格を持ち保護されている。それ故、公開的な国家精神も国家心情も、官僚にとっては、その組織への裏切りの様に思われる。個々の官吏について言えば、国家目的は彼の私的目的、より高い地位への狂奔、立身出世に転化しているのである。
彼の思考した共産主義は、低開発国のロシアで実現、その後国際共産主義として中国等にも波及するのですが、全ての地で「国家主体とする官僚制」で硬直化、腐敗が蔓延して瓦解することになるのです。
結局、「民主主義と公開的国家精神」を保持する現在の先進国群の方が、彼の意図した共産主義社会に近いのではと思えてなりません。





